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21 August 2007

ロンドン日記その6: ニールズ・ヤードで納得した

モンティ・パイソンのブルー・プラークがあることで有名なニールズ・ヤードへ行きました。いやニールズ・ヤードはその理由で有名なわけでは決してないです。ここはロンドン中心の喧騒を一歩離れた裏通りに不意に見つかる、古い建物に囲いこまれた小さくかわいらしい箱庭のような空間です。とても居心地のいい一角で、こぢんまりとしながらレストランやショップに囲まれ活気があり、訪れる人はひきもきりません。ニールズ・ヤード・レメディーズなんてメジャーな店がこの小さな空間から始まったわけです。パイソンのブルー・プラークはそんなオサレなところの建物の2階の壁にひっそりとはりついているので、


すてき空間を求めてここを訪れる一般の皆様はあまりこれに気づくことはなさそうかもしれず。でも気づく側の人間としては、上ロンするといつもここに立ち寄り上の方を拝んだりしています。

拝んではいるのですが、しかしそのたびに、「ところでモンティ・パイソンって誰のことだ、1976年から87年ってどういうことだ、ブルー・プラークのサイトには『ここでフライング・サーカスが製作された』とあるけど76年から87年なんて話が合わないじゃんどーゆーことなんだー」と頭からハテナマークを放射していました。

その謎がようやく氷解。答えはマイケル日記に書いてありました。このニールズ・ヤード14-15番地とは、1976年春にマイケル、テリG、ジュリアン・ドイル氏が共同で購入し映画制作スタジオを作ったところであるそうです。編集や録音やカメラテストができる程度の撮影機材と空間があり、ここで仕上げられたものは「ジャバーウォッキー」と「ブライアン」、その他のテリG作品、およびコマーシャルなどのよし。

(ちなみにこの当時マイケルは家も同時に建て増ししていて、かなり羽振りがよさげです。けれどもその後ブライアンからEMIが撤退したとき、いきなり資金ぐりに切羽詰まり大変そうです。)

つまり「このニールズ・ヤードでフライング・サーカスが製作された」という上記ブルー・プラークサイトの解説は間違いと言えば間違いですが、しかしもともと「モンティ・パイソン氏がここに住んでいた」というプラークの動機も冗談みたいなものなのでしょうし、あまり深く追求しないでおいた方がいいのかもしれません。

かつてかれらが根詰めて働いていたという14-15番地の上階は、今は無国籍レストランになっています。おひるどきだったのでそこに上がり、当時も風景はこういうふうに見えていたのだろうかと考えながら、不思議なカレーなどいただきつつ(うまい)見下ろしたりしていました。


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Comments

akkoさんこんにちは。
実はずいぶんと前にパイソンオフでお会いしているものです。覚えてはおられないかも…
実は私も今年のスパマロット詣でにロンドンに行った際、ここ行きました。
連れて行ってくれた人は、「あれ?ここで化粧品とか買うんじゃないの?」と外の壁ばかりカメラで撮っている私を不思議そうに見つめていましたが(笑)
あのブループラークにはそんな意味があったんですね。
四方を囲まれた小さな庭みたいな、以外にオサレな所でした。

Posted by: rima | 23 August 2007 at 07:15

ロンドンの表面はつるつるに均質化・現代化していく一方ですが、一歩裏に入るとこういう秘密の花園のように好ましく取り残された空間がたくさんあり楽しいです。それがパイソン関連空間ならばなおのことです。ロンドンオフの際にはぜひとも占拠の方向で(えっ

Posted by: akko | 18 September 2007 at 00:49

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