マイケル、「日記」を語るその3 (そして隣を歩く男)
たいへん間があいてしまいましたが、マイケル日記イベントその1、その2につづいてその3完結編です。
― (司会のお姉さん)この本(「日記」)の評には、「よいことや面白いことばかりを選んでいるのでは」というものがありましたが。
「うーん、日記とは都合のいいことばかりを書いておくものではないはずです。もし面白いことばかりのように見えるのならば、それは当時が何もかも面白くて当たり前という時代だったからであって、われわれ自身も立ち止まって考える間もなく、何かにつき動かされているだけでした。ただこの本には、たとえばパイソンのスケッチの何が誰によってどういうふうに書かれたか、ということが書かれていません。ぼくの日記はスペイン宗教裁判はこうやってできた!ということを書く場所ではなかったからです。それはただ、ぼくが日々誰に会い、誰がどう動いて、何かの後ろではこういうことがあったということの記録だからです。その点を期待していた読者から批判があるのは知っています」
― 誰がどう動いてという点で、当時ミーティングではいろいろあったようですね。
「確かにいろいろとありましたねえ(笑)。でもそれぞれの意見の相違による論争はあったけれども、相手を否定してかかることはなかったはずです」
― ご自身は論争に加わったのでしょうか?
「ぼくは… あまり、えー、ぼくの父親がわりと、自分対世界みたいな性格だったので、ぼく自身はそうならないように常につとめていた気がします。論争といったら、なによりもテリー・ジョーンズとジョンでしたね」
「正伝」以来なんとなく気になっているマイケルとおとうさんの話が出たものの、あまり深入りはせず、場はやがて客席との質疑応答へ。
(以下客) ― えー、まず最初に、何故今日記を出版されることになったのでしょうか?
「2年ほど前からそういう話はあって、キャス・デュ・プレ、つまりジョン・デュ・プレの奥さんがすべて掘り起こしてタイプしなおしてくれたんです。そうしてタイプされたものを改めて読み返してみたんですが、そしたらうちの家族、ことに奥さんがすごく面白がりました。自分でもけっこう面白いかなと思うようになり、そして次第にこれをこのまま埋没させてしまうかと考え、それよりはあの時代を全力で生きた人々の記録として表に出した方がいいのかという気になったんです。出版社にもいろいろ言われたということがありますね、ただかれらはよく『これは慈善事業だと思って出してください』と言っていました」
― 出版にあたり手を加えたんでしょうか。
「とりあえず、オリジナルからは相当切り落としました。今から見てこれはどうかなという親切心と、それからユーモアの心をもって切っています。出版社からは『これでも切り足りない』と叱咤激励されましたがね」
― それでは、切った個所というのは、誰かにとりまずいことが書いてあるからなんでしょうか。
「そのとおりです(断言。客席笑)」
― パイソンの中の自身の役でいちばん好きなものはどれですか?
「ライフ・オブ・ブライアンの、『クルシフィクション?』のあのセンチュリオンですねー(客席拍手)。あの人は、誠実で、真面目で、正義感にあふれていますすばらしい人です」
― それではいちばん好きなスケッチは?
「フィッシュ・スラッピング・ダンスです(断言。客大拍手)。あのくだらなさ無意味さなにもかもがすばらしい」
― ライブでよかったスケッチは何ですか?
「えーと、あの♪らららりら~ってやつはライブにあったっけ?(とジョンを見る。ジョンうなずく)じゃあランバージャックですね。オウムなんかは舞台だと難しいんです、言葉で展開するんだけど、大きい声ということだけになってしまうと何かが失われて面白くなくなるんです。『ヨークシャー男』もなかなかよかったけどあれはパイソンではないし。『葬儀屋』なんかもカナダの舞台でやったけど、あれははっきり言って失敗だった」
― 最近のコメディでは何が好きですか?
「あまり見ないんだけどジ・オフィスは良いし、それからやはりリッキー・ジャヴェイスがやっているジ・エクストラズも凄い、ジ・オフィスの後に何かをやるのは相当勇気がいったはずです。それからあとは、ファスト・ショウ、グリーン・ウィングなんかも面白い」
― 自身のキャリアを振り返ってみて、やはりパイソンの頃が才能のピークであったと思いますか?
「(うわーう!と客席ざわめく)うーんー、コメディという面で見ればそうと言えるかもしれない。あのような状態は確かにもうその後二度と起こらなかった、ただ非常に長期にわたりあのような状態が起こってはいたけれど」
― そういったコメディはもうやらないんですか?
「たとえばコメディ映画だと待ち時間がものすごく長いんです、その間キャラバンの中で雑誌を読んでなきゃいけないわけで、ぼくにはもうそういう忍耐力がありません(笑)。BBCの旅シリーズなら1ダースくらいの人間で全部動けるし、BBCももうやりたいようにやらせてくれるし。映画でもワンダはよかったですね、あれは少人数で動いていましたから」
― ところで、政治分野に出馬されるとかそういう考えはおありですか。
「えっ、政治?うーんぼくが?政治ねえ?ぼくはもう、ミーティングとか他の人と意見をあわせるとかそういうことはもうやりつくしたので別に興味はないです。今トランスポート2000という団体のチェアマンをやっていますが、せいぜいそのくらいです」
― パイソンは世界に進出していますが、アメリカと英国においてパイソンに対する反応の違いはありますか。
「あります、アメリカのファンは非常に熱心に騒いだりしていますが、英国はよりクールで、なんというか『パイソン?ああそう、いいんじゃないの』という感じですね。でも一番驚いたのは、パイソンの第一シリーズの直後に、ユーゴスラヴィアでパイソンのファンに出会ったことです。共産主義の国で、パイソンのようなオーソリティヴなものをジョークにしていたものを見ていた人がいたということはすばらしい。この人たちならフィッシュ・スラッピング・ダンスだって面白いと思ったはずです」
このあたりで質疑応答も終了となり、司会のお姉さんが閉会を宣言し、マイケルは一礼して舞台袖に去ります。そのとき、ジョンが最前列から段をのぼってふーと舞台にあがり、袖に去るマイケルの横にならびました。あジョンがマイケルの隣を歩いている。あ何か話している。ジョンとマイケルが並んで歩いて話をしている。ああなんだかすごい眼福。と思ううちにかれらは袖に消えていきました。もう一生見ることはないかもしれないジョンとマイケル2ショット。
さてそれからが。
このレポート第一回にあったとおりマイケルはロビーでサインを始めたのですが、並大抵のカインドリではなかったというのはここからなんです。
600席からなる大講堂の客がほぼ全員、「日記」および自分のサイン物件を抱えて列をなしたのです。みなチケットを買って入ってきているのだから熱心なマイケルファンばかりであり、たとえ何時間でも待つ覚悟のしぶとい人々ばかりです。
わたしもそのひとりなものだから、物件を抱えて列に並んだのですが。
なんだか暖房がききすぎているのかものすごく暑い。
暑いうえに順番が回ってくるまでに2時間かかりました。
2時間なんて非常識な時間、並んでいるだけでよれよれになります。しかも暑いのなんの。
並んでいる人々が暑くてよれていたので、主催者の中の人たちは、居並ぶマイケラーたちに水やチョコレートなどの延命物資をときどき配りにきてくれました。
マイケラーたちと主催者の人がさしだすチョコ缶
つまりわれわれ一般人はあちーとか言いながらそれでもチョコなどつまみつつ「まだかよう」などとほざいていたわけですが、でもマイケルはその間休む間なく、無限に差し出される本にサインをしつづけていたわけです。
2時間たってけっこうすごくつかれていたころ、「それでは次の人どうぞ」と事務所の中の人がわたしを呼ぶ声が聞こえました。
でも、ふと後ろをふりかえると、あとどう見ても1時間分くらいはたっぷり行列が続いています。
でもふたたび前を向くと、ややつかれをにじませながらもマイケルはそこにいて
「やあどうもこんばんは、君はじゃぱんの人?」
とあくまでもにこやかです。
わたしはこのとき初老のマイケルさんを、今までにないほど心から尊敬しました。いや本当に。これは並大抵カインドリところか、ふつうの神経の人にはできないと思います。
そうなんですじゃぱんじんなんです、と言って
わたしは「正伝」を出しました。すみませんつい
よい一夜であったとわたしはロンドンの夜空に思いました。そしてマイケルの横に突如ジョンが出現してくれたことにより、うまく言えないんですが、いろいろなことのつじつまがぴたりとあってすごく納得がいった気分になりました。いやうまく言えないんですけど。
ところでマイケルがそのように身を粉にして出した「日記」。今後も少しずつわたしと日記との話は続きます。とりあえず読み進むにつれ、わかっちゃいたけどジョンってかなり困ったアレな人だったのだなあと思ったりしています。(もっともそこまでアレであったのに、「君を嫌いだったことなんてないよ(にこにこ)」と普通にさらりと言っちゃえるマイケルってのもやっぱり相当ワルだなあとも思います。)
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