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01 December 2006

マイケル、「日記」を語るその2 (そして見守る男)

◆ ところでやはり労働党政府の財務大臣ゴードン・ブラウンはテリJに似ていると思います。

次期首相テリJ(似)


それから保守党党首のデイヴィッド・キャメロンは、ティム・ブルック=テイラーに。
Davidcameron
「パブリックスクールとか上流階級系の大学に行くとこういうおっとりした学生がいるよなあ」という典型的な良家のおぼっちゃん顔。就任時激若39歳。「あのユデタマゴみたいな人」でたいがいみんな理解してくれます。


◆ マイケルイベントの続きです。

時間になり壇上に現れた司会のお姉さん(美人)から、「みなさまこのイベントの最中の写真撮影および録音はどうぞご遠慮くださいねぇ(はぁと)」と美しい笑顔でクギをひとつさされました。なのでここからしばらくはテキストのみになります。お姉さんは続けて、「なおマイケルさんには寛大(カインドリー)にも、お買い上げ頂いた『日記』、そしてそのほかみなさまおそらくお持ちであろうさまざまなモノ(客席笑)にのちほどサインをして頂くことをご了承頂いております。どうぞお楽しみに」とおっしゃったのですが、
この「カインドリー」が並大抵のカインドリではなかったことがやがて終了後に明らかになります。

前半はマイケルとジャーナリストのお姉さん(この方も美人)によるトークでした。以下は聞きながら膝の上でとったメモをもとにしたその会話の要約です。会場にちらほらいらした同胞とおぼしき皆様、もし当頁をご覧になりそしてなにか「これ違ってるよ」という点がありましたらどうぞご指摘ください。

最初はこの「日記」がパイソンイヤーズということから、パイソンをめぐるわりと一般的な話になりました。

・ 「日記」を出版するというアイディアは2年ほど前から浮上していた。つけている当時はそんなことはもちろん考えになく、ただ毎日の習慣として続けていただけだった。ただ続けている間、ときどき「何のためにこんなことを」「自分は日記をつけるために生きているのか?」という疑問が起きた時期もあった。
・ けれども最近、これは日々の記録というものであるだけではなく、要するに自分を表現する方法であったという意味に気づいた。
・ 「フライング・サーカス」の製作当時には、これが後年に残り、しかも「レジェンド」という枕詞つきで語られるものになるとはまったく想像もしていなかった。最初は儲かったわけでもないし。ただ、ひとつの仕事が終わってまた次のことが始まったという意識だった。
・ 少しずつ時間帯が浮上し、そしていろいろな賞をとるようになってきたころに、「ひょっとしたらいいものを作っているのかもしれない」という気がしてきた。結局、最初はBBC2の夜11時という墓場のような時間帯に押しこめられていたのに、やがてBBCの顔的存在になっていった。

と日記をきっかけに、ある程度パイソンを知る人々にとっては新しいことがらでは決してないことが並べられます。それでももうこのあたりのことを何百回(あるいは何千回)という単位でしゃべってきたのであろうマイケルの口から冗談をまじえつつ語られると、これはもう名人が語る古典落語のようなもので何がどう話されてもすごく面白く、会場はずっと笑っていました。

しかし話がフライング・サーカスから進んで、さらに「アンド・ナウ」を過ぎたとき。

「その次に初めて映画らしい映画を作ったんだけれど、それはえーと、んーと、あー…」

と言葉につまって額に手を当てている。あっ。マイケルが、あの映画の題名を思い出せないでいるっ。なんてことだっ。あのマイケル・ペイリンがあれを忘れてしまっているなんてっ。
とさまざまな600の思いが場内にひろがったとき、
マイケルがふと最前列を「ねえあれってなんだったっけ?」という目でふりあおぎました。
つとジョンの両手が動き、声を出さずにある仕草をするのが見えました。
するとマイケルがにこりとして、「ああそうだ、ホーリー・グレイルだった!!」。思わず会場もほっ、双方にまた笑いがもどりました。この間ほんの数瞬のことでした。

そうして思い出せたホリグレという映画について、たとえば生の「ニッ!」をはさみながら語られる、かの騎士の扮装がいかに大変だったか、というくだりにやはり笑わせられました。その一方で、脳裏にはふと「ヒマラヤ」のときの「ランバージャックの歌詞を思い出せず歌の途中で絶句するマイケル」がよぎり、1969年は遠くになりにけりと考えていました。

しかしそれはそれ。おお生「ニッ!」を聞けるとは、と感動。そういえばマイケルトークイベントにはいくつか通ったものの、ちかごろのマイケルが人前でしゃべるときのIDはもっぱら「BBCの旅人」であるがゆえ、こんなふうに大っぴらにパイソンを語るマイケルをしかも生で拝見するのはそういえば初めてだとこのへんでようやく気がつきました。とても貴重なひとときです。

するとその後話題がブライアンに移ったときに、「自分にはこういう場面があってね」とジャーナリストお姉さんに説明がてら、生「うぃいーす・ぶわいやん!」が。わあ。これはやはり古典落語だ。すみませんマイケルさんそれもう死ぬほど知ってるんですがでも今聞いてもやっぱり物凄く面白いです。とまわりの客席とともにげらげら笑ったあと、息をつぎながらふと視線を移すと、最前列で、やはりそれを聞きながら大笑いしているジョンの後頭部が目にはいりました。ああジョンが楽しそうに笑っているなあ、と思いました。

さらにつづきます。

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