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24 June 2006

24JUN : ジョン・クリーズの最後の挨拶に関し

6月16日の続きです。
とはいえ正直な話、今ジョンが表舞台から引退したとして今の英コメディ界がどれほど影響を受けるかというと、表面的にはそれほど大きなものではないかもしれません。アムネスティに関するコメディ・チャリティ・ライブ(すなわち一連のシークレット・ポリスマンズシリーズ)の看板役をエディ・イザードに譲って正式に降り、ロンドンのポッシュな邸宅を引き払い、完全に米西海岸に行っちゃってからもう5年になります。最近はこっちでジョンを見かけるとしたらもっぱらカメオ的映画出演やCMが中心でした。もっともそのうちでは、英国人の心のアイコンであるジェームズ・ボンド映画のQだったりしたものの。
(ちなみに、エディ・イザードが音頭を取った2001年のアムネスティライブ We Know Where You Live では、パイソンズへのトリビュートとして『四人のヨークシャー男』がイザード、ハリー・エンフィールド、ヴィック・リーヴス、(なぜかそこにいた)アラン・リックマンによって演じられました。このライブのDVDに収録されています。しかしこれ以来アムネスティコメディは行われていないようで、しっかりしろエディ・イザード。)

それから、90年代の後半くらいから、パイソンあるいはあのあたりのオックスブリッジ派閥コメディの影響をまったく受けていない、新しいコメディの一群が現れているのも事実です。

オックスブリッジたちが60・70年代をなぎ払った後、英コメディ畑はしばらくは草木も生えない状態におかれていました。もちろんコメディそのものはたくさんありましたが、変化や革命がほとんど起こりませんでした。そのうえトラディショナルなシットコム分野にもまた、フォルティ・タワーズという途方もないものが出現してしまったわけで、70年代にコメディ畑にいた、あの人たちの後に何をすればいいのかという問題に直面させられていた人々こそ気の毒です。

しかしそこから10年ほど経ったところで、「パイソンを見て笑って育った世代」が大人になりはじめ、そしてかれらはその道を踏んでオックスブリッジで成長し、天真爛漫にあばれ始めました。つまりオックスフォードのローワン・アトキンソン、あるいはスティーブン・フライ、ヒュー・ローリー、エマ・トンプソン、グリフ・リーズ・ジョーンズなどがいた80年代頭のフットライツです。しかし、こう書くだにまったくすごい面子がそろっていたものです80年代初頭のフットライツ。フロスト、トレヴァー・ナン、ジョングレとのちのグディーズ全員(と一歩遅れてエリック)がいた60年代前半のにぎやかさに匹敵しそうです。

ところでその一方。
オックスブリッジ派閥に属さない若いコメディアンたちがいました。
かれらは70年代後半から、ロンドンの「コメディ・ストア」という小さなヴェニューを根城に、ライブのスケッチとスタンダップで叩き上げ鍛え上げられたエナジーをたくわえつつありました。その中にいたのはたとえばリック・マイヨール、エイド・エドモントン、ベン・エルトン、ヴィック・リーブス、アレクセイ・セール、ロビー・コルトレーン、ジェニファー・ソーンダース、ドーン・フレンチ、フィル・コーンウェルなどです。マンチェスター大学など、オックスブリッジ以外の新しい大学で教育を受けたかれらは、みずから「われわれはオルタナティブである」と名乗り、オックスブリッジ派閥およびトラディショナルなコメディのやりかたにあえて従わない方法をひっさげてTVに乗りこんできました。その結晶が民放CH4の「The Comic Strip Presents」やBBCの「The Young Ones」です。ともに「コメディのパンク」といっていい爆発ぶりと枠の壊しぶりであり、特に The Young Ones が当時人気のあった正統シットコムThe Good Life を真っ向から「くだらねえ!くだらねえ!なんだこのウンコ番組はあ!!」と罵り倒す場面は有名で、こんなもんをよくBBCが放映したもんです。The Comic Strip Presents もその過激かつ新しい表現がものすごく面白い。このオルタナティブ勢の激しい表現と比べて見ると、同時代のオックスブリッジ(すなわちローワン・アトキンソンやスティーブン・フライたち)が、暴れているはいえどもそれは60・70年代のオックスブリッジ精神を継いでいる、ある意味トラディショナルな表現だったということがよくわかります。

しかしこの「オルタナティブ」たちもまた、過激であろうとした理由は「オックスブリッジ派閥に固められていたコメディの流れをひっくり返す(そして別の流れ(オルタナティブ)をつくる)」ためであり、どこかでオックスブリッジを意識せずにはおれなかったわけです。つけ加えるならば、コメディ・ストアにいた若いオルタナティブたちを拾い上げてテレビに連れてきたのは誰あろうマイケル・ホワイト、つまりケンブリッジ・サーカスをウェスト・エンドに売り出し、のちにはホリグレのプロデュースをしたりしていたあの人で、結局はオックスブリッジ派閥の関係者です。意識だけではなく、実際面でもやはりかかわらずにはおられなかったという。

で、
オックスブリッジあるいはそれに対するオルタナティブの流れは、上記の人々およびさらに次の世代により、確かに90年代なかばまでのコメディに息づいていました。上記の人々によるものはたとえば、ジョンやグレアムと同期のフットライターである、アントニー・ジェイとジョナサン・リンの手による正統派ケンブリッジ流サタイアコメディ Yes Minister と Yes Prime Minister、Smith and Jones (←最近ちょろっと再結成しました。グリフ・リーズ・ジョーンズがいい感じに枯れたおじさまになっていました)、あるいはオルタナティブのほうでは Stella Street、French and Saunders、あるいはかのAb Fab。また、この人々の精神を受け継いでいたのがThe Fast Show や Goodness Gracious Me でしょう。もっと拡大して、最近のThe League Of Gentlemen や Little Britain もこの流れに入れていいかもしれません。とはいえ、この第3・第4世代のあたりになると、もはやオックスブリッジ的なのかオルタナティブ的なのかは混沌としてだんだんよくわからなくなってきますが。

しかし同時に90年代には、派閥でもオルタネイティブでもなく、そこにまったく関与せずに軽やかに独自の方面を切り開いて成功する若い世代が出てきました。かれらは主に民放CH4の人々であり、その筆頭がちかごろ映画「ショーン・オブ・ザ・デッド」で大ブレイクしたサイモン・ペッグ、あるいはピーター・ケイ、それからSmack The Pony や Green Wing の製作チーム(←ヴィクトリア・パイルという天才女性が看板プロデューサーではありますが、複数のライターにより書かれているので「作者はこの人」と言いにくい)なのです。この人々は派閥から完全に離れて存在していて、サタイアとかナンセンスとかあるいはオルタナティブとかではもはやない、現代の英国的にアップデートされた新鮮なコメディ表現をそなえています。

ジョンがアムネスティの人々から70年代なかばに「何かこう一発コメディでチャリティをやってくれませんか」ともちかけられたとき、それでは大勢でライブをやろうと、最初に集めたのはわりとオックスブリッジ寄りの面子でした。しかし時が経つにつれ、時代を反映しつつ、それは次第に上記オルタナティブたちをも含むようになります。その記録すなわち一連のシークレット・ポリスマンズを順に見ると、あたかも変化する英コメディ状況の定点観測を見ているかのごとき印象があります。しまいにジョン・クリーズが、若いスティーブン・フライとヒュー・ローリーにボコボコにやられて排除されてしまうあの場面をも含め。

しかしその第二世代およびオルタナティブたちもそろそろ枯れた中年に達しています。
そして、初期・中期のコメディ世界の戦争を知らない子供たちが、大人になって新鮮な表現をするようになった21世紀に、
ジョン・クリーズが何かを放棄して引退を宣言する。
コメディの表面上ではすぐにすごく影響があるかというとそうではないかもしれない。
とはいえ、何かこう、やはりこれは、あるひとつの時代が終わったというサインなのだと思います。いや、大げさではなく。

この話題続きます。
ところでもちろん上記の流れはたいへん大雑把なものであり、オックスブリッジ対オルタナティヴという構図におさまらないコメディ動きもたくさんありますし、あるいはアーマンド・イアヌッチが最近言っている「もはやシットコムは死んだ」という説も重要だと思われますが、それはまた改めて。

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18 June 2006

18JUN : ザ・マネー・プログラム

経済誌「フォーブス」が収入や知名度などをベースとして毎年発表している有名人のパワー番付、「セレブリティ100」が今年も発表されました。
で、
エリックとマイク・ニコルズのスパマロット仕掛人組が98位にランクインしています。→★★★

ふたり専門の頁もあります。この写真はとてもすてきだ。→★★★


しかしえーと9ミリオン(900万)ドルの出来高ということは。
とりあえず今新聞を見たら1ドルは115.190円なので

いち、
じゅう、
ひゃく、
せん、
まん、
じゅうまん、ひゃくまん、せんまん、いちおく…




1,036,710,000円(じゅうおくさんぜんろっぴゃくななじゅういちまんえん)。




1位はトム・クルーズの6700万ドルであり、その差は一見大きいようですが、今年のトムさんはよくも悪くも大量に映画などのメディアに露出しています。それを考えると、ぎりぎり98位とはいえこのペアはスパマロットのみでこの位置につけているわけで(だからふたりは「監督/プロデューサー」のカテゴリに入れられている)、すなわちスパマロットひとつはトム・クルーズ総合活動値の7.44分の1に相当することになります。これはけっこうすごいのではないかと思います。


ちなみにフォーブスに関しては、実はジョンの方が先に到達しています。記事につけられたプロフィールによると「ジョン・マーウッド・クリーズ、俳優、脚本家、ビデオ・アーツ社代表取締役」であるところのジョンがまじめなビジネス論を語る特集が、1989年のある号に収録されています。当時のフォーブスもこのような有名人パワー番付をやっていたのかどうか、仮にあったとしてワンダとビデオ・アーツでぶいぶい言わせていたころのジョンは含まれていたのかどうか。そのへんは不勉強にしてあいにく知りませんが、いずれにせよ、なにしろエリックとジョンは「パイソンズの良く言って経済的観念が発達している方、悪く言えば営利主義の方、というかはっきり言って金の亡者である方」、だから今回このエリック&ニコルズ98位の件を小耳にはさんだときわたしがまっさきに考えたことは


「さぞジョンがくやしがってるだろうなあ」


だったんですが、それはエリックとジョンには内緒にしておいてください。


でもよかったねエリック(&ニコルズさん)。有名人稼ぎ高番付なんていつも「けっ」という気分で聞き流していたのに、なんか妙に嬉しい。これからもぜひ、ブルックリン橋をぽんと買っちゃえるほどドル札束を荒稼ぎしてください。

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16 June 2006

16JUN : His at last 2006 farewell performance


これは何かと申しますと、手伝ってくれた男子2名に「あんたんち本とビデオとDVD多すぎ」と苦情を申し立てられつつ今月初めに引越した住まいの隅の納屋につけられている錠前です。いい感じで侘び寂びつつ錆びています。

寂びた錆びかげんを味わいつつ、錠前の存在にご注目ください。
この国では(特に倉庫や公園の門などが)このクラシックな「錠前」で施錠されている、という光景をかなりの頻度で見かけます。そこにはしばしば鉄鎖がともない、錠前の上下前後にからみついていたりします。

このような立入禁止的堅固な施錠感を相対するものの視覚にアピールするときに、彼らはたとえばハイテクな電子錠などではなく、アナログな錠前と鎖を選択したがる傾向があるようです。わが勤務先のケミカル危険物を所蔵する倉庫などにも、やはり古典的なドクロマークつきの扉に、直径3センチの鉄鎖が巻きつきそこに巨大な錠前がかけられています。

英国に流れてきた初期のころ、その手のものを見かけるたびに、わたしは軽い違和感を覚えました。なぜドラえもんを生み出した21世紀になろうというのに、英人たちはそのようなアナログ手法にいまだに固執しているのだろう。そんな古い方法ではあぶないじゃないか。技術は日々進歩している、それには批判もあるけれど、だからこそ人間はそれを利用し、かつ信頼もして、技術に使われるのではなく使う立場として共存すべきではないのか。

しかし今ならわたしにはわかるのです。


かれらはアナログに固執せざるを得ないのだ。


なぜならば、


英国のキカイ関係技術は壊滅状態で


全然!ずぇーんぜん!あてにならぬ!!


からであり、


それは言い換えれば


技術国ニホンから来た人間がここで生きていると


3日に3回くらい


ここは本当に一応先進国なのかあああ!!!!!


とさけびたくなるという状況であるということです。


つまり、

(1) 引越しする1か月前にブリティッシュテレコムの人に電話し、この日に移動するのでなるべくこの日中には新しいとこで電話を使える状態にしておいてください、と頼んだところ「わかったわその日の朝10時には新しいとこの電話線を開けておくわ心配しないでいいわよん(はぁと)」と言われ
(2) その後BTからその内容を保証する書面が届き
(3) 念のため3日前にもいちど電話したら「大丈夫記録に入っているノープロブレムだ3日後に新しいとこで電話ライフをエンジョイしてくれ(男だけどはぁと)」と言われ
(4) いざ当日動いてつないでみると、電話線はみごとにこれ以上もないほど美しく完璧に死んでいる。
(5) BTの窓口はフリーダイヤルなんだが携帯からかけると電話代がかかるので、村の雑貨屋の公衆電話まで20分歩いていき、ゴルァウルァなんだったんだあのはぁと口調はあああ!と苦情を申し立てたところ
(6) 「ごめーん実は、そこの前の住人がまだその人名義の電話止めてなくってねえ、その人が解約してくれないとあんたのがつなげられないんだよ」
(7) 「そんならなんでもっと早く言ってくれないんですか。なんで今になってしかもこっちからかけた電話で言うんですか。そういう事態を避けるために1か月前から連絡していたんじゃないですか」
(8) 「いやあ悪いわるい。ところであんた、前の住人が引っ越して行った先の電話番号知らない?うちに届出がないんで追跡できないんだよね」
(9) 「んなもんわたしが知るわけないじゃないですか。というかそういうことをやるのが電話会社じゃないんですか。何自分たちの仕事を客にやらせようとしているんですか。いいからうちの電話をなんとかしてください。うちの電話電話電話電話電話電話電話電話電話電話電話!」
(10) 「ああわかったわかった、でも今日金曜日で今午後3時なんだよね、しかも来週月曜はバンクホリデイだからアクション起こすの火曜日になるんだよね。ま、そゆことで」
(11) 「今午後3時だからという理由で残りの2時間をすでに終わったものと見なすのではない。連休前に面倒に巻き込まれたくないのは同じ人間として理解できるが、それはそれとして勤務時間なんだから働け!なんとかしろ!うちの電話電話電話電話電話電話電話電話電話電話電話電話電話電話電話電話!」
(12) 「いやたいへんだねえお客さん、でもいくら変な英語でまくしたてられたところで来週の火曜日ったら来週の火曜日だから。そこんとこよろしく。ではほかにご質問は?」
(13) 「そうやって会話を終わらせようとするのではない!」
(14) 「それでは来週連絡するんで待っててね。じゃあよい週末を。さようなら」
(15) 来週火曜日以降も当然のごとく似たような調子でいろいろあるも今は省略。とりあえず、長い長い時間をかけた後、最終的に電話線はなんとかつながった。が
(16) ふつうの電話には問題ないのだがインターネットへの接続が何故かできない。で、BTの電話技術部に何度か電話し、出るたびに違う担当者に(1)から状況説明をくり返し、その結果電話線には何も問題がないということがわかり
(17) 今度はBTのサーバー技術部に電話し、言われるままにさまざまなテストをくり返し、とはいえうちはダイヤルアップなのでテストのたびに電話を切らねばならず、そしてその結果を報告しようとふたたびかけるとさっきと違う人が出てきて、その人はそれ以前の状況を当然のようにまったく把握しておらず、時間とともにどんどん長くなっていく(1)からの状況を説明し(もっともこの頃にはかなり手際よく話せるようになってはいる)、そこでさらに違うテストを命じられ
(18) しかし何も改善されず数日をついやしたあげく、ようやくそれはBTの線でもサーバでもなくこのパソのモデムがわるいのであり、再インストールが必要であるということが判明し
(19) だからパソの製造元(と販売元)にその旨連絡したところともに「それは販売元(または製造元)の責任なんで販売元(または製造元)に電話してくれ」と互いに責任を投げ合うはざまで翻弄され
(20) さらに時間はながれ
(21) 翻弄はつづき
(22) そのような閉塞された不条理な状況下で生きるうち
(23) 次第に
(24) これほど要求が却下され続けるということは、ひょっとしたらわたしは何か理不尽な、本来言ってはいけないことを言ったりしているのだろうか
(25) 何か自分はひどく間違ったことを言っているのだろうか
(26) 非や落ち度があるのは決して彼らではなく自分の方なんではないのか
(27) わたしは銀の十字架の原罪をくわえて産まれてきた生まれながらにまっくろな罪人に違いない、だからこそ今苦痛に満ちたその罰を受けているのだ
(28) 恥の多い人生を送ってきました
(29) その因果が今報い
(30) 借金はトイチで取り立てられ閻魔様は罪状を読み上げイライザは「ごめんなさいあたしなんて悪い子だったのかしら」と改心しわらってわらってわらってキャンディ泣きべそなんかああっウィリアム大おじ様
(31) と気がくるっている場合ではない。残り少ない正気をかきあつめ、永遠に続くかのごとき紀元2600年の泥沼責任キャッチボールの末、販売元の人々に保証期間内であることを37回申し立てた末
(32) 「ああわかった、簡単だよ、そこに座ってて10分で済むから」と言われ座り
(33) 3時間待たされ
(34) 「この国は本当に戦争に勝ったのか」というかのフォルティ・タワーズ名台詞をうわごとのようにぶつぶつぶつぶつ
(35) まだいろいろあったのですが、

やはり個人的日常事項を並べるのはこのブログの本題ではないので(さんざん書いた末に)避けるとして、今こうしてぱその前に座り、これまでどおりにぱたぱた変哲もない文をつむいでいられるということ、ああ、「艱難汝を玉にす」の玉になろうとして、うっかりドラえもんの「くろうみそ」をなめたのび太くんの気持ちが今わかりました。
この国の人々が基本的にテクノロジを信用せず、たとえばクラシックな錠前に現れるように、できるだけキカイ関係がかかわらないローテクをこそ信頼したがる理由の一端が、少しでもお感じ下されば幸いです。わたしは今、心から「人類よ、自然と糸電話に返れ」とさけびたい気分です。




さて、
おとといジョンがショウビズ界からの引退を公式に発表しました。
ちょっとしたニュースになりました。
BBCがコンパクトにまとめてくれています→★★★
今後は執筆のみに専念するということです。
わたしはいろいろなことを考えました。
もっともジョンが「もうやめてやる」と大っぴらに言ったのは決してこれが初めてではないわけで、というか、かれは20代なかばのTVデビュー作「ザ・フロスト・レポート」時にすでに「自分の道はこれでいいんだろうかもうこれで終わりにしようか」という迷いをふと口にし、それを耳にした叩き上げのベテラン共演者ロニー・バーカーに「何言ってんだこの大学出の青二歳がおれたちがここまで来るためにどんだけ苦労したと思ってんだ」と叱り飛ばされた、という素敵な履歴を持つわけですが、
このたび齢66歳のジョンをそんな気にさせたのは何でしょう。
わたしはいろいろなことを考えています。
でもいろいろありすぎてまだうまくまとまりません。というか、どう感じていいのかがまだよくわからないといった方が近い。








とりあえず本日は前回のつづきを。


前回ちと触れたようにヤボ用でウェールズに行き、そして予定をねじこんでコーウィン・ベイに行ってきました。
(★つきの画像はクリックで拡大します)


ウェールズなので地名が英語とウェルシュの二か国語表示です。
上のコーウィン・ベイはなんとかなりますが、下のウェルシュのみの方が読めない。




女王様のロイヤルメールの赤ポストだって二か国語です。やっぱり片方読めない。


そしてコーウィン・ベイとは、こじんまりと静かで、そして見るからに住民同士の絆が強そうなウェールズの平和な街でした。そしてそのきわまで静かに海がせまっていて。



誰もいないコーウィン・ベイの海。見渡すかぎりこんな感じです。



この2006年においてさえ、通りすがりポンニチの目にすら、一見平和でヒナでありつつ、しかしその一方でみずからの言語をかたくなに守るこの街とは、数十年前はいかほどよりヒナでかたくなであったことか。この地域性の強いヒナ村で生まれた少年が文学に走り、のちに家族ごとイングランドに移住し、さらにオックスフォードに行くためには、たとえばブリストルのパブリックスクールの理数系学生がケンブリッジに行く、のよりも数段高く困難な社会的ハードルを越えなければならなかったはずだ。


とわたしはふと思ったので、


コーウィン・ベイに行ったついでにブリストルに立ち寄りクリフトン・カレッジを見に行きました。


いや、


「コーウィン・ベイに行ったのでブリストルにも立ち寄りクリフトン・カレッジに行く」

というのは、たとえば

「新潟のついでに鎌倉にも行った」

くらいのかなり無理やりな「ついで」感のともなう立ち寄りなのですが、



わたし的には完璧につじつまは合っているので別にいいです。




しかし行ってびっくり。


クリフトン・カレッジは予想をはるかに超えて上流感まんまんのどポッシュパブリック・スクールでした。



ここでジョン少年が



あまりのすてきさにやられて口あけてほー、と眺めていると、ちょうどお昼どきになり正門から数歳から十数歳までの幅の子供たちがわらわらあふれ出し思い思いに庭や道を歩きはじめました。

それが全員見るからに超育ちのいい、平民が普通に生きていると滅多にお目にかかれないようなミニ紳士と淑女たちばかり。


わたしは、あふれかえるおっとり坊ちゃん嬢ちゃんすなわち未来の支配階級たちの波をかきわけ抵抗しつつ思わずつぶやきました。



「ここで育つ階級のイギリス人は、普通、コメディアンにはなろうとはしないはずだ」




やはりどうしてもいろいろなことを考えざるを得ないのです。

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