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09 April 2006

09APR : 「モンティ・パイソン研究入門」発売のお知らせ

ここでひとつお知らせです。
白夜書房様から「モンティ・パイソン研究入門」という書籍が4月24日に発売されます。
こちらがアマゾンさん当該頁です。 → ★★★

これは、2005年3月に米国で発売された、米ペンシルバニア州ピッツバーグ大学フィルム・スタディーズ学科のマーシア・ランディ特別教授の著書「TV Milestones: Monty Python’s Flying Circus」の日本語翻訳本です。モンティ・パイソンを、カウンターカルチャーが台頭・支配した1960年代から1970年代のロンドンと、そのカルチャーに深く関わっていたBBCというメディアとが産み出したひとつの作品としてとらえ、文芸や美術評論の対象になり得るものとして、パイソンとはコメディというフィルターを通して何を表現していたのか、彼らはその当時の社会に対して何をしていたのかということを、アメリカ人の専門家の見地から分析し、しかし深入りしすぎることはなく簡潔に述べている本です。すなわち、パイソンをある程度知っていて、しかし彼らはただの滑稽な集団ではないと気づいていて、その先を見ようとしている方々のための「モンティ・パイソン研究」への「入門」の書です。巻末には、須田泰成さんの素晴らしい解説「モンティ・パイソンの実用性」と、パイソンと日本のコメディ状況について現場の臨場感あふれるWAHAHA本舗の喰始さんのインタビューがあります。

表紙です。



開いた表紙です。




で、
翻訳を行ないましたのは、不肖わたくしです。
控えめに申し上げて、
これは物凄く面白い経験でした。
前翻訳書「モンティ・パイソン正伝」のときには、本人と関係者によるパイソン生裏話の奔流に巻きこまれて、しばらくの間頭の中に小さなパイソンたちが住みつき暴れているような感覚にやられておりました。しかし今回はそのまったく対極、芸術鑑賞眼を備えた専門家により客観的かつ冷静に観察・分析され、カウンターカルチャーという激しい時代の申し子であったパイソンが、ひとつの文化としてすくと立ち上がっていくのを目撃しているかのような気分がしていました。パイソンとはこういうふうにとらえることができるのかと、わたしは目からウロコが100枚落ちました。

こういう本がこの時代になって、アメリカ人の、しかも専門家の、しかも女性の手によって書かれたことはとても興味深いと思います。まったく新しい視点がパイソン史に今持ちこまれた感さえあります。例えば、この本はキャロル・クリーブランドをはっきりと「7人目のパイソン」ととらえています。ずっとなんとなくそうだと思われてはいた感覚はあるものの、それがきちんと議論として活字にされたのは、おそらく初めてではないかと思います。そのへんに入りこんでいくと、この本の存在を対象とした評論がもう1冊書けてしまいそうです。

しかしクールな分析といえどなにしろ対象はパイソンであるゆえ、ときどきその文体と論じている内容との妙なミスマッチが面白い。たとえばエリックについて述べている箇所で。

「[エリック・アイドルには]例えば、シシリー・コートネイジュの芝居を見に劇場に来ているネイティブ・アメリカンの役があった。目当ての女優が出てこないことを知ったとき、彼は観客を弓で射殺すのである。」

このような機会をふたたび下さり、なおかつ、例えば、上記「弓で射殺す」の一文の面白さを指摘下さるなどの有用な助言をたまわりました白夜書房のeno編集者さま、どうもありがとうございます。御名と御社名とは、日本パイソン界において、永遠にパイソン的祝福を受けつづけることでしょう。(「パイソン的」と「祝福」という単語が両立するのかどうかはこの際別にして。)

なお本書巻末には、真綿で首をやさしく絞めるがごとき「あんたいいかげんに早く書きなさい」というご催促をここ1年間ほど頂き続けておりました「スパマロット」に関する拙文が、翻訳人解説の一環として収録されております。あわせてなにとぞよろしくお願いもうしあげます。

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Comments

ひぃ~っ、でっ出るんですね!なんてステキなお仕事をされているのでしょう。
このような著書の日本での出版を可能にするこの最強チームのスバラシサヨ。
関係者さまを褒め称え崇め奉ります。楽しみどぅえす。

Posted by: まいまい | 10 April 2006 at 04:19

★ まいまいさん
ありがとうございます。また追いこみの時期は身が粉になりましたが、そのありがたいお言葉に、サザレ石がイワオになるかのように回復しました。
パイソンを評論し、しかもそれを日本語にするという、おそらくパイソン本人さんたちも「ありえねー」と叫ぶであろうお仕事を、実現・推進された関係者の皆様を褒め称えます。
翻訳人はその仕事の一等後ろの末端のそのまたびりのもうひとつどんじりにぶらさがり、ステキさとフシギさとカタジケなさとアヤシさとに圧倒されてまるでひとごとのようにうろたえるばかりですが、なにとぞご愛顧くださいますようお願いもうしあげます。そしてまた熱く語りたいですね、オギクボあたりでオオザケ飲んで。

Posted by: akko | 10 April 2006 at 12:06

正伝のときにご挨拶しましたjosanです。
今回の入門書も早速注文して来ました。
akkoさんの精力的な活動に感服するとともに、こういう貴重な書物を日本語で読めることに感謝しております。
ご挨拶が遅くなったのですが、私的なブログでもこちらのことをご紹介させていただいております。皆様と違い、周囲に理解者の少ない環境におりますが、一人でも多く、Pythonianが増えることを願っております。

追って書 文中リンクの大全は正伝の間違いでせうか?

Posted by: josan | 11 April 2006 at 00:44

★ josan さん
ご購入とご紹介をありがとうございます。
投稿者名欄に張って頂いたリンクはうまく動かないときがあるようなので、改めてこちらに↓
http://josan.blog.ocn.ne.jp/wind_in_the_willow/

お店もすてきですね。すてき写真を拝見するうち、これに出くわしたときには思わずくらっときました。
http://josan.blog.ocn.ne.jp/photos/shop/sakemenu.html
酔っ払いクジラが好きなんです。こっちでは絶対飲めませんが。

縁あってうろたえつつこのようなことをしておりますが、どうぞなにとぞよろしくお願いもうしあげます。なお、パイソンを普及させ増やすために、御店のカウンターの上にさりげなく(しかし目立つ位置に)本書を山積みにしておくというのはどうだろうと考えましたが、そんな図々しいことはとてもわたくしの口から申し上げるわけには参りません。

リンクの件、それはミヤコとミソラの混同なみに失礼なあやまちでした。管理人は謹んで反省、お詫びし、訂正のうえ、即自己解雇されました。さようなら。

Posted by: akko | 11 April 2006 at 13:44

ご指示の件、しっかと承りました。ちょっとした棚を置こうかとも考えていますので、山積みは無理でも、パイソンコーナーを作るのもまた一興かと・・・。BGMでかけたことはまだ無いですが、"Sings"あたり、密かに流してみようかと思います。
帰郷の折がありましたら、是非鯨を飲み干しながら、Sit On My Faceなぞ口ずさんで下さい。
生方VSはるみの件、お気に障られたらもうしわけございません。岩戸を開けて、再雇用されますことを願っております。

Posted by: josan | 11 April 2006 at 16:57

初めてコメントさせていただきます。

マイケル・ペイリンを中心とする男同士の愛憎に満ちたパイソンズを愛してやまなかったはずのワタクシですが、このたび訳されたこの著書についてはまったくノーチェックで、いつまでも自分が若いとうぬぼれていたと、したたかショックを受けておりますと共に、原書を記した方も女性であるということを知り、ようやく何かが動き始めた気がいたしております。

自分的には、パイソンズとフェミニズムというのものが隠しテーマであります。と申しますのも、パイソンズには常々「僕って男らしくないもーん」と開き直る逆説的な意味での男らしさを感じており、それはビートルズにも同じく感じる矜持であり、もっと言えば、性差に疑問を投げかけたあの時代の風というスパイスが、パイソンをパイソンたらしめる一翼を担っていると思うからであります。だからして、女性によって読み解かれるパイソンズというものが、自分にとっては非常に興味深く感じられ、それが日本語で読めるなどとは以前では考えられなかった僥倖であるよなあ、と、涙を振り絞る春の夜長でありました。

と、我ながら、単に粘着な書き込みによるイヤガラセのような文章であるなあと危惧を抱きつつ、akkoさんの度重なる偉業にただただ感謝する私であります。失礼いたしました。

Posted by: みうらあゆみ | 12 April 2006 at 14:16

 早速予約しました。
 いやはや、長く厳しい冬の時代が終わり、いっきに雪解けを迎えたような感じです。
 発売が24日なら、GW中の旅行の最中に読めますね。

Posted by: 木下(にょろにょろ)靖 | 12 April 2006 at 16:30

担当編集者です。さっそくご予約いただいた皆様、ありがとうございます。

>みうらあゆみさん
>このたび訳されたこの著書についてはまったく
>ノーチェックで、

はい。はっきり言って今回の原書はどマイナーです。決して有名とは言いがたい大学の出版局から出た、ブックレットと呼んだほうがふさわしいような薄っぺらい本ですが、この中になかなか美味しい身が詰まっているのに気づいたときは、人に知られぬよう小躍りしました。

パイソンズとフェミニズムについてはわたし自身がほとんど詳しくないのであれこれ言うのは差し控えますが、担当編集者としては今回「パイソンズの女装」についてほぼ一章が割かれていること、また「ペッパーポット論」が展開されていることは新しい視点だと思います。
そして、あらためて観るとパイソンズの女装姿がいかに悲惨なもの(褒めてます)であるか、再確認できます。〈アッティラ・ザ・ハン・ショウ〉におけるグレアムなんざ悲惨を通り越してオーラまで出てます。

などなどといった、パイソンそのものについての新しい視点(サムシング・ディファレント)がたくさんありますので、お楽しみに。

そして、景山民夫さん、あなたのこの世での役目は終わりました。成仏してください。

Posted by: eno7753 | 13 April 2006 at 16:41

★ josanさん
ウズメちゃんの踊りには動揺しませんでしたが、パイソン棚と鯨とSOMFの組み合わせがすてきなのであっさり釣られて岩戸から飛び出てじゃじゃじゃじゃんです。っていくつだあたし。ちなみに管理人には、調子のいいときに酒類が適量摂取されると新宿東口の路上で「オウム」を大声でやりだすとかそういう事実はまったくございませんので、帰省した際にはぜひ立ち寄らせてくださいませ。いや本当にそんなことはもう絶対しませんから。

★ みうらあゆみさん
お名前は方々でおうかがいしておりました。いらっしゃいませ。
60年代の英コメディ界は男だらけの社会であったようで、社会階級のこともからみ、そこにおける女性の扱いはかなり微妙です。エリックが会長になるまでは女性はフットライツの正会員にはなれなかったわけですし、そのひとつ前の世代でフットライツ公演に客演という形で参加していたエレノア・ブロンは、あの時代の扱われ方に関してはあまりいい思い出がない、みたいなことをどこかのインタビューで言っていました。

本書の著者さんは上記のようにフィルム・スタディーズの教授の方ですが、その議論のはしばしにフェミニズムの香りを感じます。(この「フェミニズム」とは、70年代に吹き荒れた、社会にほとんど難癖をつけてまわるような過激なあの運動ではなく、純粋に、男性の目では見えない部分を見ることのできる目で分析を行なうことを指します。) というか、現代アメリカで表現美術の評論をする女性がフェミニストでないわけがなく、それはもう大前提、空気みたいにあって当たり前な下敷きになっています。だから表立ってパイソンと女性とは、みたいな固苦しい議論はありません。ただ女性独自の観点はやはりあるわけで、上記の「キャロルを7人目のパイソンと断定している」のもその表れのひとつだと思います。

新しいものに対する新しい視点は、かえってそれが存在する社会よりも、そのしがらみにしばられずに客観的に評価できるところから生まれてきます。芸術評論史には非常によくあるパターンです。この場合はそれがアメリカで、しかも「女性によって読まれるモンティ・パイソン」という視点であったということでしょうか。この伝でいくと、この次には日本からもなにかが生まれてくるかもしれないと少し感じます。

それから、ごらんのように管理人もどうしようもない長文体質であるがゆえ、粘着イヤガラセ書きこみ大歓迎です。一応常識の範囲内で。今後もどんどんよろしくお願い申し上げます。

★ 木下さん
いつもありがとうございます。
このように雪解け的に突然新しい展開が起こり続けるからパイソンファンはやめられないのです。
ほかのコメディではやはり起こりえないことです。
GWは文字通り、パイソン三昧ですね。

★ eno7753さん
そのせつは海よりも深くお世話になりました<(_ _)> このようなどマイナーかつ薄い本の価値を見出し動かすことができる眼力と手腕、現代日本パイソン界の一員としてその恩恵にあずかるばかりです。

以前ご縁があってキャロル・クリーブランドさんから直接聞いたことがあるのですが。
キャロルさんは『アッティラ・ザ・ハン』が大好きなんだそうです。
スケッチが面白かったということに加え、それはパイソンズ同士がかなりうまくいっている時期であり、その空気の中で行なう屋外ロケがとても楽しかったからなんだそうです。
「面白くて、天気もよくて、ふと振り返ると、ジョンとグレアムがあの衣装のままお茶を飲みながら冗談を言い合って笑っていたりしたのよ」
面白いです。これだからパイソンファンはやめられないのです。もう面白くて泣きそうになるくらいです。

Posted by: akko | 13 April 2006 at 19:34

>このようなどマイナーかつ薄い本の価値を見出し
>動かすことができる眼力と手腕、現代日本パイソン界の
>一員としてその恩恵にあずかるばかりです。

いえいえ。
恥を忍んで申し上げれば、わたしの作る本はどれもこれも返品の山でありまして、かろうじてパイソンものだけが「山」を作らず「丘」を作るぐらいで済んでいるので、うっかり昨年の某舞踏映画の解説本(返品9割以上)の二の舞になるような本の担当を押し付けられる前にパイソンの本で自分の仕事を埋めている、というのが実状でございます。

ついでにこの場をお借りして私信なぞ。
「解説」の最後に足していただいた「統一大パイソン理論」と感謝の言葉は、演出上akko様には最後までクールでいていただきたかったので追加しませんでした。演出の意図はのちほど本ができたときにご確認ください。

Posted by: eno7753 | 17 April 2006 at 07:41

★ eno7753さま
そのような理由でパイソン本が出るならば日本パイソン界にとってしめたもの、いえ一石二鳥、いえ臥薪嘗胆、というかコロリ転げた木の根っ子、えーととにかくめでたいです。白夜書房様が日本のメシューエン社的存在になることをお祈り申し上げております。

御私信、了解致しました。いや実は、その方がよかったかなという気分がしておりましたゆえちょっとほっとしたりなんかしております。お手数をおかけしました。

Posted by: akko | 17 April 2006 at 16:44

さきほど「シティボーイズ・ミックスpresents マンドラゴラの降る沼」を観てきました。ここで内容を語るのは野暮ですし、個々のネタについてパイソンとの比較をするのもお門違いなので触れませんが、終演後にパイソンの、とくに『フライング・サーカス』の秘密を垣間見た気がしたので、その点についてだけ報告します。

『フライング・サーカス』の秘密。それは、『正伝』の中で明かされていた、「同時に6〜7本分の構成を考えていた」というところにあったようです。
あるスケッチの次にどのスケッチを配置するか。『フライング・サーカス』やその流れを汲むコメディ作品では、「あらかじめスケッチの断片をたくさん用意しておいて、うまくつながるものを選んでいく」方法が取られますが、このときに、「1本の作品の1か所のリンクを考える」のと、「並行する7本の作品のうちの1か所のリンクを考える」のとでは、選択肢の数が桁違いに多いわけです。
もちろん作品1本分のスケッチと7本分のスケッチでは用意する断片の数がまず違うわけですが、1本の作品だけのことを考えていると、あるシーンから次のシーンへのリンクの選択肢は、つねに「1つ」です。ところが、7本分をいっぺんに考えている状況では、常にリンク元とリンク先の関係が複数存在していて、「うーんこれは第2話の3番目がふさわしいんだけど、第6話の冒頭でもいけるような気がするから、とりあえず第6話のほうに置いといてみるか」てな選択がずっと続くことになり、結果的にトライ&エラーの数が圧倒的に増えます。
もちろん、「さっき第6話に置いといたあれ、やっぱり第2話にも置いといてまた出てきたことにしよう」という形で、自ずと重層的な構造というやつも生まれます。
これは線的な一次元と面的な二次元の関係そのもので、視聴者は一次元のシーケンシャルな展開しか観ることができないので、二次元、いやここに「時間」の操作も加わるから三次元の世界で作られた世界を観て「神の御業だ」と驚かざるを得ない、と考えられるのですね。
で、「複数のエピソードの構成を俯瞰していっぺんに考える」という思考形態こそが実は放送メディアの特性であって、それを可能とするためにパイソンズは「主役はない、全体を貫く物語もなく結論もない」という設定を徹底したのではないか、とやたら駅から遠い池上本門寺特設テントを出ながら考えました。

……とすると、『ライフ・オブ・ブライアン』も、「宗教をネタにした映画」というよりも「ちゃんと主役がいて、全体をまとめるストーリーがあって、きちんと終わる映画」を作ろうとしたんだろうという「新しい見方」もできそうですね。

またも私信で恐縮ですが>akko様。
見本ができてきました。前回同様、とりいそぎ2冊を送りましたのでご査収ください。残りはまた来週に。

Posted by: eno7753 | 18 April 2006 at 17:29

★ eno7753様
> 同時に6~7本の構成を考えていた
「まず核になる、これは間違いなく笑えるというもの(例えば「オウム」)を各回にひとつかふたつ据えて、そのまわりに『固める』ものを少しずつつけたりはずしたりはさんだりして組み上げていく」というあの方法ですね。
これを知ったときに、一見ナンセンスなスケッチの寄せ集めのように見えるフライング・サーカスが、通してよく見ると個々でもシリーズ全体としても絶妙にバランスがとれている、というあの感じはここから来るのか、と謎がとけたが気がしたものです。しかし、フライング・サーカスとはスケッチの並べ方だけではなくそのつなぎ方にも非常な労力が費やされているものである、そして同時に数話を組んでいくという「ワザ」が、あのつるつるとそれていき見る者をあざやかにケムに巻いてしまう摩訶不思議な流れという結果につながっているのだと、ご指摘を受け初めて気がつきました。目ウロコでした。

それで思い出したことがひとつ。
わたしはフォルティ・タワーズ→ワンダ→パイソンという順序でこの世界に足を突っ込みました。だから今でも実は、パイソンとは「フォルティ・タワーズとかワンダのジョン・クリーズが、それ以前の若い時代にやっていたこと」という認識から抜けきらないでいます。

で、その順序のごく初期のころ。
それはワンダのメイキング John Cleese's First Farewell Performance を見ていたとき。
ホリグレやブライアンのドキュメンタリーも手がけたイアン・ジョンストン氏の手により、これもまたワンダというよい映画の舞台裏のよい記録になっていますが。
その中の一場面、どのようにあのややこしいストーリーラインが組まれて詰められていったのか、ということを述べるくだりで、
ジョンがスケッチブックに向かい、ひとりブレインストーミングをしつつ、複数のストーリーの流れを、ある一点から始めて途中から四方八方に枝分かれさせある点で集約させてはまた離してみるという、ある種のフローチャートというかタコ足配線図のようなものを、マーカー片手に大きな白紙を埋めつつどんどん展開していく様子が映されます。

わたしはこれを見たとき、「がーーん!」とすさまじい衝撃を受けました。
なぜならば、仮にわたしのような凡人がある一本の映画のアイディアを思いつけと言われたとしても、おそらく起承転結の一本の流れに沿った、「箇条書き」でしか考えられないであろうことが明らかだったからです。
こんな三次元的方法でストーリーが書けるなんて。
しかもそれが物凄く面白いコメディだなんて。
このような方法をとっているからこそ、フォルティ・タワーズにしろワンダにしろ、あの
「複数のストーリーがすごいスピードで同時に展開しつつ、しかも複数の登場人物がそのストーリーが互いに関与していることをまったく知らされずにその間の食い違いにうろたえている、しかし、そのすべてを俯瞰の位置で見ている観客には、何がどう同時に起こっているかということと、しかも何故登場人物がそれが同時に起こっていることがわかっておらずにうろたえていることまでもがはっきりと理解できる」
という、
それこそ神業としか言いようのないあの脚本が生みだされてきたわけだと理解し、その瞬間からわたしはずっとジョン専です。

例えば、フォルティ・タワーズの「鰊と死体」で、うっかり男性客の死体とお婆さんとをある客室のタンスに詰めこんでしまい、それをその部屋に泊まっている別の客にさとられまいと、狭い客室でフォルティ氏とマニュエルとポリーとが見せる絶妙な連携プレイと、「ワンダ」でワンダがアーチーの家に乗りこみ誘惑しようとするも、アーチー奥さんと娘とが突然帰ってくる、そしてワンダのロケットをめぐりアーチー・奥さん・ワンダが部屋の中を互いに存在を気づかれないように・気づかずに絶妙に右往左往する、このあたりの手法と、そして観客に与えられる「こちらにはすべて見えているという爽快な俯瞰感」には、なにか共通するワザを感じます。神業。もう神業すぎて、コメディをこんなに一生懸命書くなんてジョンあんたバカじゃないの。という気すらしてきます。

なんかパイソンの話なのにジョンよいしょ語りになっちゃいました。
とりあえず、ひとあしお先に「研究入門」の見本をお送り頂いたよし、楽しみにしております。翻訳人のちょっとした特権気分です。

Posted by: akko | 20 April 2006 at 12:28

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