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27 December 2005

27DEC :英国のメリークリスマスを笑え

毎年クリスマスからニューイヤーにかけてはコメディ特番が山ほど組まれます。そのすじを好むものには嬉しい冬の一週間です。そして今年は、なーんと、ザ・グディーズが四半世紀ぶりに再結成して12月30日にBBCの特番看板しょって帰ってきます。わはははははははははは。まるでクリスマスと正月が続けざまに来たよなめでたさだ。ってクリスマスと正月が続けざまに来るんですが。しかし、本放送以来一度も再放送されていないザ・グディーズが、おととしまずぽっとDVDが1枚出て、その次に今年もう1枚出て、そして今度はクリスマス特番だ!だからグディーズはカルトなのだなにげでとても根強いぞ3人組!!

もちろん3人ともパイソンとほぼ同期ケンブリッジ人であるゆえいいかげんじじいになっている、あのグディーズのカラダ張ったフィジカルなユーモアはどうなるのか、音楽を離れて自然保護活動家になっているビル・オディは歌を歌えるのか、というか3人揃ってこのような仕事を一緒にするのも物凄く久しぶりなので、なによりもまずそのユーモアのセンスの足並みはどの程度揃うのか。今再結成することに、地下で根強くグディーズのともしびを守っていたファンにどういう意味があるのか。

とかいろいろ考えたりは、実はわたしはしませんでした。もう、先週あたりからBBCに入るようになったスポット宣伝で3人がそこに生きて揃っているところを見ただけでくにゃり、「いやー25年ぶりだなあー」とか口々にしゃべりながら初老のグディーズがあのグディーズ基地に帰ってくるシーンなんかには、もう面白いとか面白くないとかそんな細かいことはどうでもいいの、「ああおじいさまがたもうなんでもあなたたちの好きなようにして」なあられもないこころもちになってしまうのであり。

みなさま、来たりてこの人たちを見よ。このリージョンの炎を飛び越えて来てDVDを見よ。(DVDその1その2)。せめてビル・オディの歌を聞いてくだされ。ポップ・ミュージックのスタイルをパロディにする腕においては、率直に申し上げて、わたしはエリックよりもビル・オディの方が上だと思ったりなんかするのですがどうでしょう。

ところで、
この国の年末年始のコメディ特番においては、毎年ひとり特定のコメディアンが、妙に集中してドキュメンタリー特番を組まれるという傾向があるようです。去年は怒涛のようにピーター・クック番組が現れました。そして今年はスパイク・ミリガン関係をたくさん見ます。共通する展開としては、あるコメディのゆるぎない歴史を作り上げたこういう人がいた、しかしその反面私生活のほうでこんな大変なことやあんなヤバイことがあった、そしていついつ死んだ。残された人は今こんなことを考えたり感じたりしている。と、事実と証言を淡々と並べるだけで、その結果がよかったとか悪かったとか判断は決して下しません。(この国のドキュメンタリーはいつもそうです。「運命を分けたザイル」を見るとよくわかる。)

たとえば、スパイク・ミリガン師匠はすさまじい躁鬱病で存在するだけでまわりに絶大な労力を強要し続けていて、鬱のときにはオフィスの一室に引きこもったままノックをされることすら拒否したり、出てきたかと思ったら秘書の人に「ひと思いに殺せ」と迫ったりするような人だったそうです。しかしその一方で、強迫観念にさいなまれるように、ひたすら書いて書き続けていた。それが結果として、この国のコメディの観念をも左右するほどスゴイものであったりする。でも書き続けなければならないことがそのまま重圧になって、またしてもはてしない鬱の闇にとらわれて、またまわりに多大な労力を要求する。

しかしそれでも、あの紙一重でこちらにぎりぎり踏みとどまっているような「Q」シリーズを見るにつけ、ミリガンの精神世界の活動はやはり天才のものであって、凡人にはその仕組みははかりしれず、いやスゴイ人がいたものだと思わされます。

もっともそれはそれとして、では親戚にこういう人がいてほしいかというとそうでは決してなかったりして。
というのが大方の意見ではないでしょうか。
つまりこの手の「スゴイコメディアンだった、ただし私生活問題アリアリだった、もっとも今は死んでいて、もうわれわれを騒がすことはない。アーメン」的番組を見るたびに、正直言って、「結局死んだコメディアンはみんないいコメディアンなんだよな」とつぶやきたくなります。

でも、
ふと気がついてみると、この国のコメディアンは、心に闇を負った人が多い。
たとえばこのミリガンもそうだし、
クック&ムーアもやっぱり暗いし、
ピーター・セラーズも映画になるほど暗かったし、
最近ではビリー・コノリーやポール・マートンやジャック・ディーやアンガス・ディートンやポール・オグレイディなんかも病んでいる。
探せばもっといるに違いないという気がする。
自虐をもってユーモア的によしとするお国柄だろうか。それともアメリカでもやはり病むコメディアンはいるのだろうか。

で、
わたしはふとパイソンの暗いほう、すなわちジョン&グレアムのことを考えたりするわけです。
確かマイケルが、「グレアム本人に直接その問題を指摘することはなかった」とか言っていたと思います。
で、本人亡き今は、グレアムの闇についていろんな人があちこちで口にするようになっているのでそれは耳に入ってくるのですが。
ジョンの闇については、本人もあまりぺらぺらしゃべるほうではないし、まわりの人も進んで話したりはあまりしないようです。それはおそらく礼儀正しい気遣いもあるのでしょうし(「正伝」で、マイケルがジョンの問題に関しては非常に控えめな表現にとどめてしゃべっているあたりを読むとそう思います)、あるいはジョン・クリーズに関してうっかりしゃべったりすると後で何をされるかわからない、というおそれもあったでしょう。(伝記本Cleese Encounters の前書きに、『クリーズを知る人が記名で証言したがらないので困った』みたいな記述があったと記憶)。ふとわたしは、「ミリガンはこんなにヤバイ人間だったこんなアブナイこともあったあんな紙一重なこともあった」的なBBC特集を見ながら、こういうふうにパイソンの内部事情が、今以上に、他人の口で暴露されるときが来るのかなあ、と考えたりしますけれどもえー、まったくもって正月間近らしい縁起のいい話題で申し訳ありませんが、みなさまよいお年をお迎えくださいますように。

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14 December 2005

14DEC : 就職にたぶん役立つモンティ・パイソン

あんまりにものどかなあまりエリック・アイドルのネタにされたラットランドに住みつきはや幾年、いつのころからかふらーとか漂泊の思いがやまず、わたくしは最近、あかるく輝く灯火に魅かれ、新たな職を求め、都会にさまよい出て行きとことこ歩いて人に会っては頭を下げてまわっています。学生終了まぎわの就職活動時のように「あと○日以内に仕事が見つからなかったらごはんが買えずに即路上、不法滞在国外退去」というような絶望的な状況ではとりあえずないにせよ、それにしても、実らない求職活動というものはどうしてこうも人間の精神を荒廃させてくれるのでしょうか。灯火に魅かれていっては「じゅ」と焼かれている蛾、という構図が脳裏にしつこくよぎるのは何故でしょうか。

ところでこっちの履歴書は、自分の経歴を針小棒大に、もとい、雇用者にアピールする形で自分の言葉で書いていいことになっています。よって、東京支社のある会議のために営業部の書類を数枚日本語に訳した、ということを
「日本での新たなマーケットを開拓するプロジェクトに加わり、優れたバイリンガリズムを発揮して自社製品のローカライゼーションに多大なる貢献をした」
と書いてもいいのであります。
(注:これはわたしではなく、わたしの知り合いがやったことです。これはあまりにもひどいと思ったので、すぐに参考にしました。)

そして持って行く先によって、先方の業種に関連づけるためには自分の経歴のどの部分を棒大、もとい、強調するかでかなり作戦を練らねばならず、履歴書を1枚書くと疲労困憊、3日間ほど寝込みます。ようやく回復しかけたところに封書が一通ひらりとやってきて、郵便カゴの底に横たわるその妙な薄さ、中身が重要な文書ではなく、ただ一行目が「残念ながら……」で始まる、文末のサインまで印刷のたぐいの手紙だということがほとんど預言者なみの正確さで感知され、また3日間ほど寝込むわけです。

で、
ある日わたしは人に会う際、小脇に「正伝」を一冊たずさえて行きました。それが直接業種に関係するかどうかはともかく、一応夏をひとつ返上して、身が粉になるほど働いた結果のポートフォリオという視点で見てもらえればいいな、というほのかな希望を抱いてのことです。

すると、履歴書をじろじろ眺め回していた先方の比較的偉い人が

「この経歴にあるビャクヤショボーというのは何なんだ」

と問うてきました。

いえ実はこれこれこういうわけでありがたくもこういうお仕事の機会を頂きまして、で、おかげさまでこういう本ができたというわけなのでございます、と現物をさしだすと

「わ。あは。うわはははは。あははははこれはパイソンだモンティ・パイソンだ、あはは面白いおもしろい、君たちも見てるんだうはははははははは、いや読めないよ、読めないけどおもしろいこれは面白いよ、ああここに国の地図が、どはははははねえねえこれ、ここ、ここって、ウェストン・スーパー・メアって書いてあるんだよね?(「そうです。」) ぎゃははははそうだそうだなにしろジョン・クリーズはウェストン・スーパー・メア生まれだもんなあうわはははははあ」

あの地図の中からぴかりと聖地ウェストン・スーパー・メアを識別したその人に、すんでのところで握手を求めそうになるのをこらえるのにわたしはかなりの努力を要しました。そしてわれわれは、仕事のことを離れ、パイソンとかユーモアとかコメディとか文化とか英語と日本語とかいうことをしばらく話し合いました。なんでもその比較的偉い人は「フォルティ・タワーズのオーストラリア人の女の子が出てくるやつ」が好きなんだそうで、おおイイ趣味だとほとんど尊敬しました。

これはこのような状況下においてはかつてないほど異様に楽しい会話だったので、だからもう、それが求職結果にどう結びつくかはこの際別の問題です。ああ、実らんかな結果。

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08 December 2005

08DEC : ケンブリッジとグレアムの余韻

ケンブリッジに行ってきました。
ちょっとしらべものをするためにこのケンブリッジ中央図書館にこもっていたのですが、

実はわたしは必要以上にこの図書館が好きなのです。しらべものがあるたびに、「そうかあしらべものかあ、じゃ図書館に行かねばならんな」とつぶやき、しかし地元の図書館は素知らぬ顔で通り過ぎて、はるばる40分ほど車をころがしてここまでやって来ています。

その理由は、いやもしお手すきでお時間がおありでやることがなくてヒマでヒマで仕方がなかったら、というさまざまな条件を満たすときにでよろしいのですが、管理人が変な別名で英国に関するよしなしごとを書き散らしているメルマガ「Quick嘘屋」の2004年12月14日号をご参照下さればきっと明らかになると存じますし、なおかつ、購読をも申し込まれると編集長の週刊魚魚先生が大変お喜びになられるでしょう。
(ちなみに、この図書館の2階あたりが「その」空間であるようです>Q嘘をお読みの方へ。) 

なお、Quick嘘屋は嘘界のナショナル・ジオグラフィックと呼ばれるべき嘘ネイチャーにせまる格調高い大嘘メルマガですが、管理人の連載部分に限り「恐怖新聞」であるというもっぱらの噂です。おかげでわたしは自連載部を読むたびに命を縮めています。


ところで最近こんなものを買いましたその1。


Pythons Autobiography の編纂者ボブ・マッケイブさんによる、Life Of Grahamなるグレアム伝記本です。
基本的に、Autobiography の製作中に集まった、しかし本には入らなかった部分と、すでに入っている部分とで構成されている感じがします。だから、パイソンズのグレアムに関する証言はAutobiography とまったく同じところがいくつかあります。ある程度パイソンに通じたパイソヲタにとっては物凄く目新しいことが書かれている、というわけでは決してないのですが、それでもグレアムに関して客観的な記述が一冊で読めるのはよいです。

それにしても、Autobiography の勢いに乗る感じでこういう本もできるということは、つまりマッケイブさんは、残りのそれぞれのパイソンズに関して、やろうと思えばあと5冊本が書けることになります。ジョンとテリGはすでにいろいろあるので(というかテリGの本はマッケイブさんも一冊書いている)、個人的には、そろそろマイケルのまとまったやつがほしいとこですが。どうでしょうマッケイブ先生。


そして最近こんなものを買いましたその2。


Culcium Made Interesting という中身の予想のつきにくいタイトルですが、これはかのジム・ヨアカムさんが、グレアムが書いたまんましまいこんでいたエッセイ原稿とか、どこかで読んだ講演原稿とか、書いてどこかに持ってったものの没になったスケッチやドラマ台本などをかき集め、テリJとキャロルのグレアム回想原稿も若干新たに取ってきて、本にしてしまったものです。いや「しまった」というのもなんですが。しかし、ヨアカムさんがそういうモノを持っていて出版したがっているらしい、という話はちと小耳にはさんではいましたが、まさか実現してしまうとは正直言って思っていませんでした。

で、
これが物凄く面白い。
なにしろ生きているグレアムだから、Life of Graham よりもこっちのほうがぜんぜん面白い。
なんだか白昼夢がかっているような文章でいっぱいのライアーズ・バイオグラフィに比べ、こちらは落ち着いてきちっとした筆致で詰められていて、淡々と、そしてユーモアに満ちている。ああやっぱりグレアムもケンブリッジの人だ、と思いました。

好きなところ。
- ガスクッカー屋への苦情の手紙の、「通常は水平ですが左のコンロに鍋をのせると約10度傾きます」。
- 危険スポーツクラブのスキーに関するエッセイの、「医者だという理由だけで、あやうく手術台に乗せられて斜面を下る羽目に陥るところだった」。
- 1977年の、フットライツの新しい部室のオープニングセレモニーへの招待を断る理由。「その頃はちょうど映画の撮影に入っていますし、また最近罹病した野兎病からの後遺症からの回復も危ぶまれます。なお、おそらくジョン・クリーズとエリック・アイドルにも同様の招待状をお出しになったかと思いますが、どちらもこの映画には出演していないため、そういう言い訳はできないはずです。」

というか書き写していったら結局全部になりそうで。いいぞグレアム。こういう本が出るなんて、俗世もなかなか捨てたもんではありません。

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