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30 October 2005

30OCT : スマナイ誕生日。

はっと気づいて倒れそうになりました。
27日はジョン先生の66回目のお誕生日だったのです。
遅ればせながらあわてておめでとうございました(ぱちぱちぱち)。どうかお達者でいてくだされ。
すみませんすみません忘れてたわけではないんです。でも去年はジョン公式サイトの中の人から「もうすぐボスのバースデーなのでプレゼント送ってください」みたいなリマインダが来たのに。リマインダは忘れているときに来てこそリマインダたる意味があるというのに。いや忘れていたわけではないですが。それに一応一度は「サー」にノミネートされたほどのセレブリティの人が、自分から誕生日プレゼントを要求するのもどうかと思います。(5年ほど前にノミネートされたものの、「んなもんいらねーよ」と蹴ったのだそうです。カックイーぜじじい。)でも術後をご自愛くださり、どうかお達者でいてくだされ。わたしは多くは望みませんがそれだけが望みです。いや、望みを述べだしたらきりがないので、あえて何も言わないでおくだけという噂もなきにしもあらず。

さて、
数か月前にTBSで放映されたピーター・バラカン氏司会の「CBSドキュメント」で、「スパマロット」がとりあげられたときがありましたが、あれの録画テープがなぜだか実家にありました。で、おおこれはニューヨークだよ全員集合、と思ってまた見ました。
ところで、
「正伝」でいちばんきつかったのが第7章でした。もうだめだこんなにつらいことはもう続けられない、と途中で何度も思いました。また、それまではわりと口数の少なかったジョンがこの7章でいきなり饒舌になっている、ということにもかなりやられていました。
で、
今回「正伝」後に初めて動く全員集合を見たのです。
そうしたら、
ご覧になった方はご存知と思いますが、写ってるのは一瞬だけです。しかもわたしはその光景をすでに見たことがありました。でもその見たことのある一瞬の光景を、このたび改めて目にした瞬間、わたしの脳にはがーんとデンキが走りました。パイソ婦女子心が思いがけず強力にゆさぶられました。何故なんだなんでこんな合計317歳のじじい戦隊にわたしはやられているのだ、とも思ったものの、もうどうしようもなく反応を呼び起こされてしまいました。もう嘘でも仮面でもなんでもいいから、今後この人たちが表に現れるときはどうかこのままのこの人たちでいてくれますように、と、わたしは神様にお祈りしていました。

ところで少し細かいことを申し上げてよろしいでしょうか。
同じくCBSドキュメントの中で、スパマロット初日に、最後の「オールウェイズ」で本物パイソンズが舞台にあがって加わるとこがありますが。
あそこをよく見てみると、舞台に上がるときに、ジョンがマイケルの背中をちょいと触っていますね。
あれがどうしても気になるのです。
いや、英国流ではこれはわりとよくある仕草です。「お先にどうぞ」という場面で、礼儀に障らないタイミングでちょっと背中なりひじなりを触って押してあげる、というのはまったく普通に行われることです。
ただ、この礼儀は普通、男性が女性に対してやるもんなのだ。
百歩ゆずって女性同士ならまだしも、男性同士でやるもんではないのだ。
でもそれをジョンがマイケルにやっている。
わたしは思わず考えてしまいました。それはもういろいろなことを。
そして結論に達しました。
やはり、まっとうな大人のパイソびととしてはこういう枝葉にこだわってはいかんのではないかと。そりゃ、パイソびと初期にはさまざまな枝葉に足を突っこんだりもしましたが、わたしはすでにそのヂョシコーセーのようなはずかしい思考回路は卒業したのです。わたしは今後、大人のパイソンの楽しみと快楽をまじめに追求するのです。どんな快楽かはともかく。
だからこういうことにこだわるのをやめよう。今やめよう。すぐやめよう。だからやめよう。やめい自分!いいじゃないかジョンとマイケルがうまくやってればすなわち英国天下泰平、国もポンドも女王様も悪い天気もまずいメシもきっと安泰だ。世界平和のみなもとジョンとマイケル!わたしは世界を平和に保っておきたいと願う地球市民なので、だから「正伝」でテリJが「ジョンのバカヤロウ、マイクなら何でも許すのにどうしてぼくのことは何も許そうとしないんだ」とか言っているとき、キーボードをぱこぱこ叩きながら思わず「妬いてんの?」とツッコんでしまったことは、絶対に口外せずこのまま死んでいこうと固く決意しています。

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28 October 2005

28OCT : 正伝おぼえがき号外

川崎クラブチッタのケラさん&谷山浩子さんのパイソン歌ライブから戻ってまいりました。
お会いできた皆様まことにお世話になりましてありがとうございました。
というか、
お会いできた皆様、「♪中国人が好き〜背丈は人のはんぶんくらい〜♪」と、「♪精子ばんざい、精子はすばらしい、異教徒はぶちまけるがいい〜♪」が、あまりにもすてきな日本語になっていたあまり、ドツボにはまって異様に受けてしまいうるさくてもうしわけございませんでした。特に「何そんなに笑っているんですか」とごツッコミくださったKさま。(でも本当に本当に面白かったんです信じてください。)

オールナイトニッポンとか「ニャンニャンしてね」を聞くことが人生の一部であった世代の人間なので、谷山浩子さんがパイソンを見る人だった、というのは、あたかも赤毛のアンのごとく世の中の人々を「パイソンを知る一族」とそうでない人、という分け方をしてしまいがちなわたしにとり、ここでふたたび人生(というか)が交差した、ということがかなり意外な驚きかつよろこびでした。あのかわいらしいお声とすばらしいピアノでにこにこ微笑みながら「せーいしばーんーざーいー♪」、もう、素敵。パイソン本人のみなさんも、極東方面で、あの歌がこういう解釈をされていようとは思いもしないでしょう。

しかしあれです。ケラさんがパイソン話の最中、「もうものすごく詳しい人がいるんですよ、で、こういう細かいことを間違えると、『違うそれは1972年の6月ではなく7月に放映されたのだ』とか指摘するんですよね、で、そういうことを指摘しているとき、そういう人の顔は生き生きと輝いているという」とおっしゃってましたが、すみません、わたしはそういう人間です。いや間違いを指摘するというよりは、そういう細かい話題になると楽しくてとまらなくなるという意味で。ケラさんのその言葉を聞いたとき、「どき」とそのへんに心当たった方は、わたくしだけではないはずです。(と信じたいのですがどうでしょう。)あと個人的に、パイソン以外歌の、ケラさんの小学生時代の作品「♪ワカメの最期を見届けたあー!」にかなりやられました。

さて、来週(たぶん)は、新宿(おそらく)で、ブラザーズ・グリムオフ!(か?)
いやそういうお話を小耳にはさんだのです。ギリアム先生とすれ違ってしまってかなりくやしかったので、そのリベンジにかけるべくニヤリと笑って手ぐすね引いているところです。

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26 October 2005

26OCT : 正伝おぼえがきみたび

地球の裏から千葉に帰ってきました。夜、モルツーモルツーモルツーモルツー♪ と、もうおそらくかなり古いのであろう歌を口ずさみながら幸せにモルツを喫しつつ、ぱちとテレビをつけたら、そこにはいきなりカバンしょったマイケルが。ぶうとアワ吹きながらよく見ると、NHKBSで「サハラ」の真っ最中でして、NHKの中の人はいい人に違いないので受信料なんかどんどん払いましょう。実はわたしは道中ヴァージン航空機内でも「ヒマラヤ」をずーっと見ていたのでありまして、どうやらわたしはかなりマイケル運にめぐまれているようです。

ところで今、正伝まとめ頁で名言集を作ろうとしています。
とりあえず自分が翻訳人だという事実は忘れて、好きなものを以下に列挙します。

(なお宮沢章夫先生が言及された、
「最初にガンビーを演ったのは私だ」

「パレスチナでパイソンは売れるだろうか?」
は、
謹んで別枠別格としてエントリー決定済みです。)

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「学校で集会があり、誰かが前に立って話を始めたとする。そういうときぼくはつい、『今この瞬間に、丸裸の人がワイヤーで吊られて舞台にぶらーんと現れたら何が起こるだろう?』とか、『今あの人のところに走っていって、鼻や耳にバナナを詰めたらどうなるだろう?』と考えずにはいられなかった」
マイケル・ペイリン

「いやあママ、これこそ僕の人格形成における幼少期の重要な要素に違いないんだよ、うわああああ!」
グレアム・チャップマン

「にぎやかなアメリカ人だった。ちなみにそのとき、一番まわりにいてほしくなかったのがにぎやかなアメリカ人だった」
マイケル・ペイリン

「ぼくは23歳になった。そして『ザ・フロスト・レポート』に出ている。なんてクールなんだ」
エリック・アイドル

「彼は自転車に乗れなかったが、仕方がない、なにしろまだ25歳なのだ」
グレアム・チャップマン

「すると兄は、『なんて売れなさそうなタイトルだ』と言った」
テリー・ジョーンズ

「それは地表において他に例を見ない完全に純粋な唯一の存在だった。ぼくらはしがらみから切り離されて存在していた。ぼくらは寄り集まって、完璧にキチガイじみたひとりの人格を形成していた。ひとりひとりもそれぞれ個性豊かに気が狂っていた。しかしひとつにまとまると、ぼくらは美しく調和したひとつのキチガイ人格になった」
エリック・アイドル

「そこにあったのは信じられないくらいの開放感、縛っていたものをふりほどく充実感、そしてすべてが可能であるという予感だ」
ジョン・クリーズ

「カンディンスキーと表現主義の画家50人を自転車に乗せてラウンダバウトを回らせたいと言えば、それは実現する。この自由をぼくたちははしたないまでに満喫していた」
マイケル・ペイリン

「僕たちはまたとない時代に居合わせた。BBCもまたとない状態のもとで運営されていた。もしあと5年後にずれていたら、パイソンは起こりえなかった。危ないところだった」
テリー・ギリアム

「いよいよ初めて観客の前に立つという日、始まる30分くらい前にジョンがやってきて、肩を叩いて励ましあったり大丈夫だがんばろうなどという言葉のかわりに言った。『ひょっとしたら我々は、世界初の、まったく笑えないコメディをつくってしまった可能性に気がついているか』」
マイケル・ペイリン

「燭台はヤギにすべきか羊にするべきかで、すさまじい戦いがくり広げられたことがある。我々は3対3に分かれて、『糞食らえ羊!羊なんてくだらん、ヤギ以外は許さん!』と罵りあい、目玉をほじくり合うような激論が戦わされた」
ジョン・クリーズ

「台詞を正しく言うと、スタジオの客が喜び思わず拍手をしてしまい、そのカットは撮り直しせねばならなくなり、しかしそのころにはまたバカのように台詞を忘れているから、次に正しく言えたときにはまた観客が拍手をしてしまう」
グレアム・チャップマン

「ライト・エンタテイメント部長のトム・スローンがイアンに電話をかけて、『あの番組をなんとかしなきゃならない。あれはぜんぜん面白くない。海から男が現れてイッツとか言っても面白くもなんともない』と言ったらしい」
テリー・ジョーンズ

「いいかよく聞け、我々はこれをもう長いことやっているのだ、ありとあらゆることを試してみたのだ、そして客の反応を観察して、何が一番面白いかという結論に達しているのだ。何か叫んでいるようだが、今のあんたの状態を鑑みるに、その言葉がこっちが達している結論より面白いということは確率学上まずあり得ない」
ジョン・クリーズ

「人の神経に障ることくらい、ぼくらにとって嬉しいことはない」
エリック・アイドル

「パイソンは見るものをはっきり左右に分けた。大好きになるか大嫌いになるかだ」
ジョン・クリーズ

「これが6人いることのいい点だ、何があってもひとりくらいは最後まで生き残っていられるだろう」
エリック・アイドル

「エルヴィスは『ナッジ・ナッジ』にならって、まわりの人を『旦那(スクアイヤ)』と呼んでいたらしい」
エリック・アイドル

「『ちくしょう勝手にしろ、しょせん手前の書いたスケッチだ、おれはそれを撮ろうとしてやってんだ、それがどんなに難しいのかわかってんのかバカヤロウ』と言い捨てて、僕はそこを離れ、もうこんな映画の監督なんかやめてやるとつぶやきながら草むらに寝っころがっていた」
テリー・ギリアム

「あの泥のシーンに関し、マイケルはまことに素晴らしい爆発ぶりを見せてくれた。あれは大変よいものだった」
ジョン・クリーズ

「ロニー・コーベットに怒られた。『なんて下品なんだ、コマーシャルに出たらそこの商品を侮辱してはいけない』。ぼくは思った。『何故いけないんだ?』」
エリック・アイドル

「建築のマネージャーが自分の車を直射日光から守るために小屋を作っていて、みんなそんなもんが大嫌いだったんだが、ある日どうしても我慢できなくなり、よってたかって分解して宇宙船の材料にしてしまった」
テリー・ギリアム

「そのアイディアとは、僕達と一緒にハリソン・パイソン・ツアーをやることで、そこでは普通じゃないこと、例えばワイヤーで吊られて客席の上を飛び回るとかそういうことをやるのだ、と発展してきたあたりでやや用心深く、『待ってくれジョージ』。ちょっと考えて、『それでジョン・クリーズをショウビジネスに呼び戻せるとはあまり思えないんだが』」
マイケル・ペイリン

「『ザ・コンプリート・モンティ・パイソンズ・ファン・ブック』に載っているパイソン・クイズをやってみる。非常に難しい問題ばかりで、全員でかかっても正解率は60%だった」
マイケル・ペイリン

「ある女性から手紙をもらった。モンティ・パイソンなる者どものひとりはホモセクシュアルであると聞いたとある。旧約聖書によると、もし男が他の男と生きようとしたら、石で打ち殺されるべきなんだそうだ。だからぼくは感謝して返事を書いた。『我々はそのひとりを発見し、ただちに表に引きずり出して石で打ち殺しました』」
エリック・アイドル*

「エリックが、現在のパイソンとはうち続くミーティング上の存在以外ではなくなりつつあることについて厳しく批判を始め、皆のことを資本主義者呼ばわりして、『どうしてかつて楽しくやっていたことをやれないんだ?どうして今こんなことをやっているんだ?』と叫ぶ」
マイケル・ペイリン

「その報酬は、同じことをやり続けることに対してしか支払われない」
ジョン・クリーズ

「『ジャバウォッキー』を撮り、本物の役者と仕事をしたら、これがとても愉快だった。本物の役者はぼくの言うことに従うからだ」
テリー・ギリアム

「グレアムの追悼会では『オールウェイズ・ルック・オン・ザ・ブライト・サイド・オブ・ライフ』を歌った。あれはぼくにとって世界で一番つらいことだった」
エリック・アイドル

「電話がきた。『医者はもうグレアムはここを出ることはないと言っている』。ぼくは叫んだ。『なんだ出られないってのは?入院費でも払えないのかっ?』」
テリー・ギリアム

「幼いころ母が教えてくれた。人を失う悲しみは、少なくとも2年間続くだろう。そして正しく悲しんだら、悲しみは終わり、ふたたび人生を取り戻すことができるのだと」
デイヴィッド・シャーロック

「今、モンティ・パイソンがある愛すべき愉快なコメディ集団になっていることにはちょっとしたショックを受ける。ぼくはいまだにその状態になじむことができない」
エリック・アイドル

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上記*印はエリックが得意とする話のようで、ほかのところで語られているのも見たことがありますが、ほかでもないグレアムがこの続きをつけているのを別の場所で目にしたことがあります。

「それは第3シリーズの終了直後のことだった。で、第4シリーズが始まってみると、ジョン・クリーズが画面に出てこない。その事実から、この女性がどのような結論を導き出したか、それはもはや誰にもわからない」

ところで、
今日ニュースを眺めていたら、三木谷という人が、「どうしてそれを買ってはいけないのか僕にはわからない」と言っていました。わたしは、前後の文脈はよくわからないまま「なんてエリックみたいなことを言う人なんだ」とつぶやきました。

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23 October 2005

23OCT : 正伝おぼえがきふたたび

「モンティ・パイソン正伝」のまとめ頁を、帰省する前に新しいウェブ内容としてあげようとしていました。しかしあいにくあと21時間後にはヒースローで飛行機によじ乗っておらねばならず、しかもその間に会社に1回行かねばならぬため、全部を一度にあげるのはやや難しくなって参りました。

とりあえず、最初のさわりのところだけをちゃっと下に貼っておきます。わりと似たような文を最近読んだ記憶がおありの方は、とりあえず知らないフリをしていてください。続きは実家で書いて、サーバーにつなげられれば本サイト内容としてそちらに入れて、それがだめだったらここに五月雨式に貼り続けようと思います。まるで、本番ぎりぎりまで庭で舞台装置にまみれていた学生時代のテリGのような気分です。


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(1) The Pythons Autobiography by the Pythons と「モンティ・パイソン正伝」


ほとんど1kg

「モンティ・パイソンズ・フライング・サーカス」(以下「パイソン」)は1960年代終わりのロンドンのカウンター・カルチャーの空気を色濃く反映し、「戦後のロンドンで起こったビートルズの次にクールなこと」だった(2005年3月、Time Out)。それを作った5人のイギリス人と1人のアメリカ人(以下「パイソンズ」)も、テレビというメディアも、戦後というロンドン社会も、何もかも一様に若かった時代だった。そこにあったのは、既存の笑いのフォーマットをはぎとり、キャラクターやクリシェを排除し、パターンを憎みオチを嫌悪し、言葉の意味を踏みにじりそして定義を引っくり返し、テレビというメディアをも逆手に取って、イギリスの社会と伝統的価値観に対してパイソンズが叩きつけた、コメディという形をした挑戦状のような番組だった。

英語圏においてパイソンに関連する本は新旧多数出版されているが、The Pythons Autobiography by the Pythons は比較的新しいもののひとつで、ハードカバー版は2003年12月に出版された。著者ボブ・マッケイブは「テリー・ギリアム映像大全」を含むTV・映画に関する本を多数執筆・編集しているが、これはおそらく(文字通り)最大の作品だった。6人のパイソンズが出生から数十年間のそれぞれ人生を詳細に語り下ろした膨大な量のテキストと、初出のものを含む写真を千枚以上フルカラーでつめこんだオリジナルのハードカバー版は、25cm x 32cm x 4cmと直方体をなし、重量はほぼ3kgに迫った。

しかしあまりの重量ゆえ、英国ではまずひとまわり小さい普及版ハードカバーが新たに発売された。それでも、写真が豊富すぎて文字と重なりときどきひどく読みにくい点の解決をみるために、テキスト中心のペーパーバックが2005年9月に発売された。ペーパーバックは写真は200枚強とハードカバー版のものに比べると少なくなっているが、それでも本文は500ページに迫る。

ペーパーバック版は、ハードカバー版のテキスト部分と写真の抜粋で構成されている。テキストの内容は、戦中・戦後の新旧の価値観が入りまじるイギリスで、パイソンズはどのような光景の中で育ち、いかにして大学で出会って集合し、BBCという若いメディアにかかわり、パイソンというアイディアにたどり着いたかということ、最初から初めて、途中もやり続けて、そして文化的に炸裂する釘爆弾のようなコメディを作りあげたかということ、どのようにそれが終わったのかということ、そしてかれらにとってパイソンとして生きるということはどういうことかということが詳細に語られる。

しかし、かれらが「モンティ・パイソンズ・フライング・サーカス」や、それに続く4本の映画をどのように考えて、書いて組みあげ、そして実行したか、ということについてはそれぞれの視点から詳しく語られるが、その内容そのものについて改めて説明されることはほとんどない。つまり、「これを読む人間は全員それを知っている」という前提でこの本は編まれている。

そのように枝葉が潔く切り落とされているためデータ資料的価値は犠牲にされているものの、そのかわり本書は、データに足をとられがちな既存のパイソン本とは一線を画している。これは文化の目撃者の記録である。終戦後の英国社会に発生してきた「怒りをこめて振り返れ」な価値観の発達に合わせるようにして育ち、抜き身の白刃のような「パイソン」を引っさげて社会に切り込むことになった6人が、その文化の最先端で何をどう見て感じてきたかというな貴重な証言である。「モンティ・パイソン」以外のかれらのIDには、話の流れで必要なことを除き一切言及されない。また死んでいるグレアム・チャップマンの代理の人々を除き、パイソンズ以外の人間の発言もない。焦点が完全にモンティ・パイソンのみに合わせられてそこに深く踏みこんでいる。

その結果、現れてきたのはコメディと、そして「今は愛すべきコメディ集団ととらえられている」(エリック・アイドル)パイソンズの、そこまでさらす必要があるのかと思われるような、プライベートかつ非コメディな背景である。しかしこの本の著作者クレジットは (C) Python (Monty) Pictures なのであり、すなわちそういう部分をもひっくるめた上で、これはモンティ・パイソン公認の「自伝」本なのである。(グレアム・チャップマンの自伝に関しては、編者ボブ・マッケイブいわく、本人から「『あいにく死んでるもんでどうしても都合がつかない』という言い訳の連絡が来た」ので、代理人を立てざるを得なかったのだそうだ。)

The Pythons Autobiography by the Pythons の邦訳「モンティ・パイソン正伝」(白夜書房)は、基本的にペーパーバックのテキストと構成に沿っている。加えて独自の内容として、宮沢章夫氏の「世界の混沌はまだ続いている」と、須田泰成氏「意識の流れは究極の仮想ユートピアに宿る」と、高度かつシリアスなモンティ・パイソン論になっている解説が巻末に掲載されている。また、本文中に言及される地名を示すイギリスとアメリカの地図が含まれている。また、原書は英国を基準にして、説明が省略されている。例えば「デイヴィッド・フロスト」という名前を聞いただけで英国人ならすぐにその像を目の前に見るであろうが、日本ではそうはなりにくい。それをできるだけ補うために、やはり巻末に17ページの注釈がつけられている。

定価は3990円。安くはない。しかし、もし3990円とこの本とを選べと言われたら、個人的にわたしはこの本を取る。そしてコメディを見る新しい目を得て、残りの人生楽しく生きることを選ぶ。(どういう状況下でそんな選択を迫られ得るのか、という議論はともかく。)それに、パイソンの目線で世の中を見ることを覚えてブライト・サイドを歩いてていくこと、それはなかなか悪くない。

関連リンク:
宮沢章夫氏 遊園地再生事業団「Papers」
須田泰成氏 yasunarisuda.com / Yasunari Suda's Blog Comedy
「モンティ・パイソン」正伝@白夜書房ホームーページ
「モンティ・パイソン」正伝@アマゾン
The Pythons Autobiography by the Pythons @アマゾン 

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ところで、
eno7753さんが14OCT 「正伝おぼえがき」のコメントで教えてくださった、来週28日(金)川崎チッタの谷山浩子さんとケラさんのパイソン歌ライブ、楽しそうなのでちょっと見に行こうと思います。→ ★★★ 
管理人を見つけたら、「ブライアン」の最初んとこで、ジョンが石をボコボコぶつけられている要領で「正伝」を力強く投げつけてください。ほぼ1キロのカタマリは想像するだにはんぱじゃなく痛そうですが、わが身を挺して営業作業、どうぞひとり1冊お買い上げいただいた上でお願い申し上げます。なんなら2冊。いや3冊。

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19 October 2005

19OCT : グレアムの最後の挨拶

つい先ほど突如猛烈な秋の雷雨が到来、全英一小さなラットランド州はたまらずぐらぐら揺れたあげくにぶち、と停電、ゆえにそれまでわたしが「モンティ・パイソン正伝」に関するレスを含めいろいろがしがし書いていたことも、イナビカリとともに消えてなくなりました。もう一度あの量を最初から書き直すにはちょっと生きる希望をなくしすぎているので、とりあえず「明日考えよう」とスカーレット・オハラ的にちからなくつぶやきつつ、本日は、おととい隣街のヴァージンを流していたときに見つけた物件をひとつ。

Monty Python’s Graham Chapman: Looks Like a Brown Trouser Job。見た瞬間、なんなんだこれはという疑問が脳に認識される前に、パイソン脊髄が行動を起こし光の速さでびゅっと購入、そのままDVDをかき抱いたまま20マイルの距離を疾走し家に帰りました。ぜいぜいしながら裏の解説文を読むと、収録されているのは1988年にグレアムがアメリカのカレッジで行なった講義の映像76分間、およびグレアムの個人アーカイヴからのさまざまなレアもの、さまざまなNGもの、アイアン・メイデンのPVなど、ボーナス映像24分間。こ、これは一体。なんでこんなものが普通にヴァージンさんで売られているのか。1988年なんてグレアムの生涯の最後の年ではないか。み、見る。部屋を片付けて掃除をして水垢離をしてすがすがしい気持ちで必ず見る。

ところで、
実は来週頭からいきなり一時帰国することになってしまいました。今は、帰る前に住民税を払うとか、道路税を払うとか、自動車保険代を払うとか、TVライセンス代とか電気代とかガス代とか電話代とか、無闇とお上にお金を払ってまわるという、人生でもっとも忙殺されたくない目的に忙殺されております。ち。
ですので来週以降、市川もしくは船橋近辺の本屋で、逃げるように「モンティ・パイソン正伝」をハリポの上に重ねようとしている挙動不審の女を見たら、さりげなくやさしく暖かく、牛で殴ってやってください。

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15 October 2005

15OCT : シェイクン・アンド・コンフューズド

次のジェームズ・ボンド役がダニエル・クレイグに決定したということが、今日いちにち普通のニュースでがんがん報道されていました。初めての金髪碧眼ボンドの誕生だってんで、「ブロンド・ボンド」という軽やかなニックネームをつけられています。

とりあえずBBCさんのニュース→ ★★★

でも、
ちくそう。
Qを出さないボンド映画になんて、意地でも興味なんか持つもんか。持ってやらん。持たぬっ!もうわたしとジェームズの仲は終わったのよ。映画館に13回通った(そのうちの1回はおフランスでの話だったりする)あの楽しかった日々ももう過去になったのよっ。さようなら。もうクリスマス・ジョーンズ博士とでもなんでも勝手によろしくやっててください金髪ボンド。

それにしても、最初噂で出てきたころにはダニエル・クレイグってなんか顔がコワイ、悪役の方がいいんじゃないか、と思っていたけれど、今日の記者会見ではすっかりニヒルでクールな色男になっていました。お、わりといいじゃん、と思いました。いや興味ありませんが。それから、上記BBCニュースの写真2枚目は、テムズ川からボートで颯爽と、ミレニアム・ブリッジでのフォトセッションに現れたクレイグ氏ですが、この映像を見ながらチャンネル4のアナウンサーが「ジェームズ・ボンドなんだから救命胴衣なんか着けないでほしいです」と突っこんでいました。いや興味なんかないですが。

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14 October 2005

14OCT : 正伝おぼえがき

「正伝」に関してお伝え申し上げます。
えー、この本は、発売当日本屋さんに「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のごとく山のように積み上げられるかというとそんなことはおそらくない、というのが正直なところでございまして、もし確実に入手されることをご希望でしたら、事前にご予約されることをお勧め申し上げます。わたし個人の願望と致しましては、ネット本屋さんよりもできればリアル本屋さんで、対応に出た店員さんの反応を注意深く観察し、そこから自分とパイソンと社会との関係について結論を導きだして遊んでいただく、というのがわりと面白そうで一興ではないかと思うのですが、わたしはそういうことについてどうこう言える立場にはあまりないような気がするのも事実です。

バーチャル本屋さんです。アフィリエイトとかそういうややこしいことは一切なく、ただのリンクです。

★長いこと扱いがなかったので、ほう世の中にはここで扱われない本というものもあるのだなあ、と感動していたら突然始めてくれたアマゾンさん
楽天さん
HMVさん
まんがの森さん
★グレハム・チャップマンという独創的な表記になっておりますが本のほうではグレアムになっているはずの本家白夜書房さま当該頁トップ頁

どうかお役に立てますことを。


さて、
転んでもただでは起きずにすかさず倒れたことでアイディアをひねり出してしまう、というパイソン的手法にのっとり、今別ページで「正伝」のまとめをぱこぱこ作っています。そこに入れられないたぐいの、時間とともにブログの奥底へと埋もれていくべき個人的なおぼえがきを順不同でとりとめもなく。

1) ジョンのケンブリッジ卒業時の成績がアッパー・セカンドだった、というのはどこかで読んでいましたが、科目によっては実はファーストを取っていたことを知り、わたしは驚愕しました。これは大学の成績のランクで、上から「ファースト」「アッパー・セカンド」「ロウアー・セカンド」「サード」というカテゴリに分けられます。しかしファーストになるには、ただ順位が上になればいいというのではなく、論文を書いて、それが教授陣から要求されるある一定の水準を高く超えている必要があります。だから「ファースト」はよくてひとり、あるいはまったく出ないのが普通なのに。しかもそれをケンブリッジで。しかもジョンは最終学年の後半はずっとフットライツ公演を書いたりやったりしていたのに。しかもそのとき参加した公演は、フットライツ史上最大のヒット作になったのであって。なんというか、人間じゃない。絶対に違う。

2) テリJとマイケルとは、仲を保つのがうまいなあと思いました。ジョンとグレアムのケンブリッジ組は最初からなんか微妙な感じで、しかも時代が下るにつれいろんな波風が立ってしまうようになるのはわりとあちこちで語られてきたとおりですが、テリJ&マイケルがオックスフォード時代からどのくらい波風が立たずにうまくすごしてきたか、ということは、ジョングレほどのドラマがないせいか、かえって話題にならずにいたような気がします。(なにしろジョングレの関係はあまりにもドラマティックなので、ロンドンで芝居になったくらいです。) パイソンツアーでニューヨーク滞在中、ふたりで部屋を借りたら隣に住んでいたのはキャサリン・ヘップバーンだった、というくだりがすてきです。それから、こういう何十年もうまく行ってるテリJ&マイケルを踏まえて、あらためてホリグレDVDのロケ地探訪を見ると、しみじみ味わいが感じられます。

3) デイヴィッド・シャーロック氏がグレアムの代理人その1としていろいろ語っているのですが(その2とその3はグレアムのお兄様とその奥様)、なんというか、とても複雑な感情を抱えて生きている方だと思いました。もっとも立場を考えたら当然ですが。でも、いろいろ複雑な感情を吐露していらっしゃいますが、第6章最後の発言にやられました。この本通じてのベスト発言のひとつだと思います。

4) 第2章でマイケルが、「母の家系は準貴族で祖父はオックスフォード州の長官だった」とかさらりと言っているので、わたしは驚愕しました。いや驚いてばかりですが。お母様はバッキンガムの舞踏会で社交界にデビューしたんだそうです。お父様の方も貴族の称号はないものの代々たいへんポッシュな家系だったそうで、いや、マイケル、生まれが良すぎ。世界が違う。とはいえ、かつてはそういうところに属していたペイリン家は、大恐慌と戦争を経てかなーりくっきりと「斜陽」なおうちになっています。マイケル少年はその複雑な環境のもとたいへん複雑な心境で育ったようで、その当時のことを語るとき、マイケルは「うちは裕福ではなかった」とか「家が貧しかった」と言っては、その後すぐに「でもそれはたいした問題ではなかったけれども」と打ち消す、ということを何度もくり返しています。

5) そういう点も含めて、わたしは、それぞれのパイソンズが生まれてから大学に入るあたりまでを通して語る、という第2章が大好きです。こういう背景をまとめて読むのはたぶん初めてですし、当時のロウアー・ミドル・クラスの人々の生活の貴重な証言になっているし、それに、なにより、だって、みんななんかどっか暗いんだもの。テリGだけが例外で、悩みはするけど西海岸的に明るくつき抜けていて、このへんがアメリカとイギリスの違いなのだろうと思います。けれどイギリス人のみなさんはどこかしらこうカゲがあって、「いやあ親に愛されちゃって幸せな子供時代だったなあ」ではぜんぜんない人ばかりです。特にエリックがすさまじくて、寄宿学校時代の話などはまるでゲーツヘッドのジェーン・エアです。こういう静かな陰のエナジーを蓄積していた人たちがコメディに向かったのは何故か。その答えは、友よ、風に吹かれているのでしょうが、そこでわたしはジェニファー・ソーンダースが言っていた
「幸せだったら、人はコメディなんかやろうとは思わない」
という言葉をふと遠い目をして思い出すわけです。

6) 話は戻りますが、マイケルは斜陽とはいえ元準貴族家系で、純パブリック・スクールのシュルーズベリを出てオックスフォードに行ったのだ、という事実に思いをはせながら、「ランバージャックソング」を聞くと物凄く面白いです。

7) パイソン時代のマイケルがマリファナをやってるのを発見。というか、自分の日記にやっているときっちり書いている。(いい人だ。)もっとも、70年代のロンドンの芸能界に若いころにいてそういうことをたしなんでいなかったらそっちのほうが変ですが、やっぱりあの頃のマイケルは何かを超えている。ちなみにエリックもやってるらしいですが、こっちはあまり意外だと感じないのは何故でしょう。

8) グレアムはときどき、宇宙語をしゃべったり書いたりしているとしか思えないふしがあります。宇宙語は知らないのでたいへん困ります。

9) それはともかく、その前後にはいろいろ騒ぎを起こしてああだこうだと悶着があったようですが、「ブライアン」の章だけは、5人の口調が揃って「あのときのグレアムはよかったなあ」という、しみじみ感に満ちているのがたいへんいいと思います。

10) それにしても、第6章で、「グレアムはもうこの病院から出ることはないだろう」と伝えられ、思わず「なんだ出られないってのは?入院費でも払えないのか?」と返すテリGが(笑)(泣)(笑号泣)

11) 第7章で、アスペンを終えていろいろあってエリックがぶち切れたあと、結局残りの全員、特にマイケルとは和解できたのかがかなり気になります。でもマイケルが文中で「今は大丈夫」みたいなことを言っているし、それにこないだはスパマロットで再集合して楽しそうだったし、まあ、この人々の場合いつも結局なんとかなるのであまり心配しなくていいのかもしれません。

12) ところで、第4章前半3分の1「空飛ぶモンティ・パイソン」の一番最後の、ジョンに関するマイケルのコメントがこわくてたまりません。夜中に書いてて「きゃー」とさけびそうになりました。わたしはたいがいのジョンは平気ですが、これは本気でこわかったです。

13) 巻末に「パイソン年表」がついています。1939年10月27日がジョンの誕生日として一番上にあります。1940年11月のテリG、41年1月のグレアム、と順に続いて、1966年にザ・フロスト・レポート、1969年にフライング・サーカス、1974年にホーリー・グレイルがあります。いや実際はもうちょっと詳しいのですが。で、その年表の末尾はこうなっています。
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1989年 10月4日にグレアム・チャップマン死亡
2030年 10月14日にジョン・クリーズ死亡
2034年 2月14日にマイケル・ペイリン死亡(カラハリ砂漠での番組撮影中)
2046年 8月にテリー・ギリアム死亡(まる1か月かかった)
3039年 4月1日にエリック・アイドル死亡(他のバカより必ず長生きしてみせる)
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3039年。エリック1096歳。ロウソクを立てるのにタタミくらいのバースデイ・ケーキが必要でしょう。願わくばその大往生を見送りたいものです。それから、テリGの死因はなんなのかがたいへん気になります。

とりとめもなく、続くかもしれずまた続かぬやもしれず。

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07 October 2005

07OCT : 「モンティ・パイソン正伝」発売のおしらせ

ここでひとつおしらせ申し上げます。

2003年12月に発売されたかの豪華重量級寝転がって読むと気分はベンチプレスな本「The Pythons Autobiography by the Pythons」の日本語訳、
「モンティ・パイソン正伝」
が10月15日(くらい)に 白夜書房さまから税込価格3990円で発売されます。→★★★★★

この日本語翻訳は現地ですでに出ているペーパーバックをもとにしたものですが、それでも写真とテキストあわせてA5版で約500ページというずっしりぶりです。日本語にして約43万字。すなわち500ページぎっちしパイソンのみなさんが、43万字日本語でしゃべっているわけです。
さらにここに監修の須田泰成氏宮沢章夫氏の手による、むちゃくちゃハイレベルかつ渋いパイソン論である解説がついています。
われわれは仮に3990円もらったとしてこれと同じものが作れるでしょうか。


表紙です。




帯つき表紙です。宮沢氏解説のこの続きがとても読みたい。


で、
僭越ながら翻訳したのは実は不肖わたくしです。
長いこと身が粉になるまではたらいておりましたが、確実に本当に出るという段階になったので、今お知らせ申し上げる次第です。
僭越で恐縮で恐れ入っておりますが、しかしその一方で、これがどんなに面白くて、面白くて面白くてもう本当におもしろくて仕方がない本であるか、わたくしはパイソなみなさまに率直にお伝え申し上げたい。これはすばらしいよ。
この中には、パイソンたちの、自分をよく知る親しい人たちに宛てた私的な手紙のような言葉が詰めこまれています。気のおけない身内に向きあっているかのように、パイソンとは何か、パイソンとは何だったのか、パイソンとしてかれらはどう生きたのか、そしてパイソンとして生きるとはどういうことか、ということが語られています。
それはまるで「マルコビッチの穴」でした。わたしはパイソンのみなさんの頭のなかに入りこんで、そこからものを見ている気がしました。なるほどここからはこういうふうに見えていたのだ、と何度も思いました。その真っ白の人の手が触れない頁に遊ぶのは、まるで誰も知らないお花畑に踏み入るかのようでした。あるいはものに名前がつけられていないエデンの園でした。

今後この本に関してはまたいろいろ続くと思われますがとりあえずひとつだけ。
43万字を通り過ぎた結果、わたしはエリックの大ファンになってしまいました。いや「しまいました」ってのもなんですが。
エリックのクールなスタンスと視線はすごくカッコイイ。言うことがいちいちロックンロールです。わたくし、そのロックンロールな言葉だけで思わず惚れてしまいました。若いときの写真もすてきで、ああ60年代のロンドンの明るい面を享受しているワコウドの顔だ、としみじみ感じます。あと、幼少時代が異様に暗くてトラウマまみれなのも、それはそれでけっこう婦女子的本能に来るものがあります。で、なんとなく、きっと本人も、「ぼく家庭環境が不幸だったんだよね」とか憂いを含んだ表情でつぶやいてみたりすることを女の子を落とす手段に使ってたんだろうなあ、と思わせてくれるしたたかさがまたすてきです。

で、
発売に先立ち白夜書房の編集さまがおっしゃいました。
「TFJCに来るようなマニアさんたちを確実に捕らえたい。マニアさんたちの口コミが、雑誌やテレビで紹介されるよりも、一番影響力を持っている」。
すばらしい。
これで晴れておすみつきマニアなユニヴァース13人のジョン専のみなさま、どうかお手すきのときにひとつお読みください「モンティ・パイソン正伝」。そしてまたパイソンに関するいろいろな話を続けましょう。

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05 October 2005

05OCT : 男には売るものがある

インテル入ってる、のインテルさんちのCMにジョン発見。→→インテルさんちのサイト
上記トップにいきなり出現、そして右上の See the ads で見られます。膝のり英紳士ジョン、いい。ジョンに座られて困っているおっさんもたいへんいい。うちの糸電話ダイヤルアップぱそではダウンロードにものすごく時間がかかるうえ紙芝居になってしまうので、きー!とかさけびながら見ています。

ジョン@CMは、アメリカ方面ではいろいろさかんにおやりだと小耳に挟んでいますが、こっちで放映されるオリジナルのCMはたぶん(あの悪名高き)99年のセインズベリーズ以来たいへん久しぶりです。ほとぼりはさめたということでしょうか。

こっちで「芸能人がCMに出る」というのは必ずしもいい印象をもたらすものばかりではなく、どちらかというと「金儲け」目当ての人々が出るもんだということになっていますが、まあジョンの場合、大っぴらにまちがいなく自他ともに認めるほど本当にそうなのでいいのだと思います。

それにしても、
古いものでもテレビ番組だったら、マイナーで古いものでもどこかに映像が残っていたりして、英国の片田舎の物置の隅とか、アメリカとかオーストラリアとかニュージーランドのテレビ局の倉庫などで不意に発掘される可能性があります。実際数年前に、ダッズ・アーミーの超初期の白黒フィルムが、南イングランドの農家の納屋で半世紀ホコリをかぶっていたところを発見、救出され、修復作業をほどこされて放映されていたりしました。それは、特にダッズ・アーミーファンでないポンニチ人の目にもかなり感動的な光景でした。

しかしCMの場合は完全にその場限りの「消えもの」なので、いちどキャンペーンが終わってしまうと、ふたたび見るのがかなり難しくなります。ジョンは70年代以来、英国に限らず海外でも鬼のようにCMに出ていましたが、ときどきものすごくすごいものがあるのです。いや本当。でも、そのほとんどはきっと人の目に二度と触れることなく去ってしまうのでしょうなあ。金を稼ぐだけかせいでぱっとあとくされなく消える、というのはかなりらしくていいとも感じるのですが。

個人的にさまざまな手段を講じて目にしたかぎりですばらしかったCMは、

1)マグナボックス(米、1993) ― 安かろう悪かろうな米メーカーの電気機器を、非常にきちんとした英人のジョンがひとつひとつまじめに解説。

2)アメリカンエクスプレス (英米、1990) ― 数年間にわたるアメックス出演CMのうちのひとつ。アニー・レイボヴィッツ撮影による。「できるだけクレジットカードとは関係ないバカバカしいCMにしよう」という意図のもと、コウモリ姿で木から逆さづりである。

でした。
両方とも芸術レベルの佳作で、わたしは見たときひいき目を抜きにして感動してしまいました。マグナボックスのなんて本当にすてきですよ。かっこいいよもの売らんかなジョン。ああ惜しい。ちなみに2)のコウモリ逆さづりは、写真がロンドンのナショナル・ポートレイト・ギャラリーに保存されています。たまに虫干しのように表のギャラリーに飾られているので、ロンドンにおいでの際は是非チェックされたし。

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04 October 2005

04OCT : トゥー・ロニーズのはんぶん

ロニー・バーカーが死んだのでかなりへこみました。→
国民的コメディアンだったので今朝からけっこうさわぎになっています。 上記リンク先のBBC記事ではジョンとマイケルがちょっと追悼コメントを寄せています。
パイソンたちよりひとまわり年上だったのでご存知ないむきもあるかもしれませんが、デイヴィッド・フロストが1966年に『ザ・フロスト・レポート』を始めるにあたり番組の「顔」として表に立てたのが、自分と、すでにある程度キャリアのあったロニー・バーカーとロニー・コーベットの「トゥー・ロニーズ」と、新人ジョン・クリーズ青年でした。
ザ・フロスト・レポート後も、このふたりロニーズのためには、エリック・マイケル・テリJがいろいろスケッチを書いていたそうです。

個人的に、
まだぜんぜん若いのに大ヒット作『ザ・フロスト・レポート』にさくっとスカウトされてきて何の苦労もなく執筆・出演できるようになっているのにもかかわらず、自分はショウビジネス向きではない、これは自分の道ではない、人生こんなふうでいいんだろうか、とぐちぐち悩んでいるジョン・クリーズ青年の不満を聞きとがめた瞬間、思わず「てめえこの大学出が何ふざけたこと言ってんだおれたちがどんなに苦労してきたかわかってんのかバカヤロウ」と叱りとばした、
という話がたいへんスキでしたバーカーさん。
なんかこの人は死なないような気がしていました。けれど76歳。合掌です。

で、
そういえば、
今日はグレアムの命日でもあったりするわけです。
グレアム元気かなあ。いや死んでますが。
60年代の文化を好むものとして、どうも最近は、当事者が死んでいたり死んだりする事態につきまとわれます。
でもそこはそれ、わたくしはものごとの明るい方を見つつブライト・サイドを歩こうと思います。エリックは3039年まで絶対に最後まで生き残ると宣言していますし、まなんとかなるでしょう。

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02 October 2005

02OCT : さらばジョンQ

実は下↓のエントリーを書き始めたときに書こうと思っていたことがあり、でも勇気がなくて次にまわそうとやめてみて、でもやっぱりいかんこれは避けずに通らねばならんと思いなおしたことがあります。

次の007映画にはどうやらQは出ないようです。

ダイ・アナザー・デイに目が眩み、あれを13回見た今のわたしには、いっそ死ねと言ってください。(足蹴どか!ばき!)よよよよ。
ち、ちくそうグレてやる。夜の校舎窓ガラスを壊して回ってやる。タバコ吸ってやる(吸ってるけど。)酒飲んでやる(飲んでるけど。)グレる方法が80年代で尾崎豊的だと言われようとかまうもんか。脚本家ポール・ハギスよ、ジョン専的ファトワが今くだり、全世界13人からかぼそくうらまれることを覚悟したまい。ああ。

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02OCT : 社会階級と米国政治と人生の苦悩について

ポール・マートンというコメディアンがおります。この人はルックスもけっこういけている上、すごく頭の回転が速く、ピーター・クックやジョンあたりからの伝統の「にこりともせず辛辣なことをぴしぴし言う」というスタイルを継承しているのでわたくしはひそかにひいきにしているのですが、
(その他にこのスタイルでやっているのは、おそらくジャック・ディーとアンガス・ディートンです。カッコイイ。)
こないだBBC2がポール祭りをやっていました。BBCさんが、ソロ番組に加え、「ポール君、ついでに自分のお気に入りコメディ番組および映画を選んで放映していいよ」と気前よく3時間ぽんとあげた大盤振舞。

で、お気に入りで選ばれたのは、テレビの方が超古典の「ステップトー・アンド・サン」(大変面白い)、そして映画が「ザ・マジック・クリスチャン」でした。すてきだ。ポール偉い。ますます好きだ。
もっともこれが選ばれた理由はポールがピーセラさん好きだったからのようです。しかしそれはそれ、便乗してわたしは久しぶりにこの映画を見ました。オックスフォードボート部員が最初は正義を気取っておきながらあっさり買収されてしまうあたり、グレアムに率いられるチームらしくてよいと思いました。サザビーズ社員のジョンに関しては、神様ピーター・セラーズ氏を前にしたジョンががちがちにあがってしまってNGを連発し、しまいに神様が「あの使えないバカをなんとかしろ」とイカっていた、と生前のグレアムが言っていたのをどっかで聞いたことがあります。神様の怒りはともかくジョンがあがっているのは本当のようで、ぎくしゃく来てる感じが見ていてなかなかよいものです。

それにしても最初にポール・マートンも言ってましたが、これはナンセンスを装いながらずいぶん当時の社会にとっては過激な内容です。要するに社会階級の抑圧の問題です。なんだか英人の文化を見渡すと、この国の文化の進化てのはつまりなんでもかんでも「社会階級の抑圧」をエナジーとして動いているような印象を受けます。とはいえそれは、社会に難癖つけてフリーメイソンやゴルゴムの仕業にしてしまうよりはまだまともで健全ではあります。

さて最近一番笑った話。
コンドリーザ・ライス博士が「スパマロット」を見に来たんだそうです。→ ★★★

ポピュラー文化面にはとても疎そうな藪大統領とその一派ですが、コメディ観劇ときましたかライス博士。博士の立場上、同じ路線の大ヒットミュージカルでもザ・プロデューサーズを見に行くわけにはたぶんいかないと思うのでこっちにしたのかもしれませんが、こっちだって「ブロードウェイで成功したけりゃユダヤ人を味方につけろ」とかヒドイこと言ってます。(←相変わらずエリックがこういう歌を書いている。)どうでしょう博士。それにしても、藪パパは湾岸戦争をやってるかたわら、寝る前にホワイトハウスでフォルティ・タワーズを見ていたという伝説の持ち主ですし、なんだかこのへんの人々の行動はバランスが悪い。

フォルティさんといえば、
また旧聞ですが、9月19日はかのフォルティ・タワーズの30周年記念日だったそうで、BBCがフォルティさん祭りをやってました。BBCサイトトップに小さなフォルティさんアイコンがついていたりして大変愉快でした。とりあえずアイコンはなくなってしまいましたが、そのときに並んでいた記事を。

◎フォルティ30周年についての記事→  ★★★ 

◎フォルティ・タワーズとは何かという記事→ ★BBCコメディガイド版  ★銀河ヒッチハイクガイドエントリー (BBCサイト上に構築されているオンラインh2g2。こっちの方が面白い)

◎結婚生活に危機を感じる人たちのための記事(フォルティまつりの一環として、番組とはまったく関係ないまじめな社会派の頁にリンクがついていた。)→  ★★★


ときどき現れる「朝鮮戦争に行っていた」という台詞から判断するに、1975年に40代前半であったのであろうフォルティさんは、生きてたら70すぎです。いや生きてるんだかなんだかよくわかりませんが。
しかし、てことは、最初のフォルティ第1シリーズのときに約35歳だったジョンは、フォルティ氏の設定の年齢よりかなり若かったわけです。なのに、なんでしょうあの堂々と40越えててしかもまだ惑っているみたいな立派な悩める中年ぶりは。実生活の苦労が背中ににじみ出ているような。第2シリーズでは実年齢がフォルティ氏に追いついているせいか、そういう苦悩ぶりが少し和らいでいるように見えます。もっともジョン専とは、苦悩するジョンにも渋い味わいを見出して愛でることをよしとするものであり、だからわたしは第1シリーズの方が好きなのですが、そんな風流などジョンにとってはただの迷惑に違いありません。でも好き。

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