« August 2004 | Main | October 2004 »

28 September 2004

28SEP 山に登り下りてきたイギリス人の話

最近マイケルを見かけるようになっていたのです。トークショウに出たりとか、新聞にコラムを書いたりとか、あと先日映画「ウィンブルドン」のプレミアを見にきてたりして、マスコミへの露出度が明らかにあがっていました。

これはひょっとして、と思っていたらやっぱりそうで。




来週から「ヒマラヤ」が始まりますよう。



サハラの直後あるインタビューで、次の目的地はどこかと問われ「これでしばらく旅のことは考えずにすごせると思ってたんだが(笑)」と言ってたのに。でもまた立ち上がって、出かけていって、ヒマラヤに着いて登って下りて帰ってきたか。なんかいいなあ、「生きていくマイケル」って感じで。

最近ちと身辺がばたばたしてて若干ツカレを感じていたのですが、BBCを眺めていて不意に「ヒマラヤ・ウィズ・マイケル・ペイリン、来週日曜夜9時から放映だよ」という番組スポットを見た瞬間、ツカレがぱーと身体から離れていくのがわかりました。しばらくたのしみが続くことになります。

BBCサイト内でどうしてもまとまった記事を見つけられないので、とりあえず番組リスティングをひとつ。→ 
それからおなじみマイケル旅サイト →  
ヒマラヤ本は9月27日発売になっているようです →  

それにしても。
旅ドキュメンタリー作家としてのマイケルさんは、BBCで作品を発表する際、その宣伝兼フォローアップとして、サイン会講演会その他で英国のすみずみまで飛び回りものすごく働き(あるいは、働かされ)ます。わたしは実はサハラのときは恥も外聞もかなぐり吹き飛ばし、局地的にオッカケと化してしまいました。真のマイケラーの皆様には誠にもうしわけございませんでした。今回は大人としてのつつしみと常識を持ち、おとなしくヒマラヤの空気よりも冷静な態度で、マイケラーの皆様には先におわびを申し上げておこうと思います。すみません、今回も色々ありそうです。

お話かわりまして。
BBC2に Topgear という面白い車番組があります。わたしはこれが大好きで、オイルさえろくに取りかえられないくせに毎週見ています。なにしろ、司会のジェレミー・クラークソンの偏ったクルマ観に強力に番組が支配されているのがすばらしい。そしてその口調にたいへん説得力があり、見てるとうっかりフェラーリなんかをひとつかふたつ買いに行きたくなります。

このクラークソン氏が書いた本を先日読んでいたのです。トップギアの前にやってた Motorworld という、世界各国のクルマ事情に関するドキュメンタリーにまつわるエッセイなのですが。

あるときクラークソン氏はオーストラリア内陸部に行ったんだそうです。そこは巨大かつ茫々たる荒野であり、ランクルで3日間ばりばり走っても風景は全然変わることなく人にもまったく出会わない。ようやく人を発見したと思ったら、しかし隣人までは100マイル離れ、店までは200マイル、町までは18時間かかり、牛の群れを追うのにその人は自家用セスナを使うとか、そういう想像を絶するような世界だったそうです。

で、
その人があるとき言うには。

「今度、ここにマイケル・ペイリンが来るんだよ。オレ迎えに行くんだけどさ。ガンビーのカッコしてったら、やつは怒るかな?」

それに対し冷静なクラークソン氏は「おそらく。」と一言コメント。

ああ、生きていくマイケルがこんなところに。わたしはこの数行を、何度も読み返しました。


ところで、いきなり休んでいたエディンバラ話は次回から復活の予定。乞う生ぬるいご期待。それから、ここまで書いたところで、ボスによりとても劣悪な環境で酷使されているらしいジョンサイトの中の人たちからメールが。なにやら10月のボスの誕生日に新しいことが始まるよし見受けられるのですが、すみませんジョンさん、当サイトとして本末が転倒してるのは承知のうえで、それも次回にさせてくだされ。

| | Comments (8) | TrackBack (0)

24 September 2004

24SEP 弁護人より一言

こないだの日曜にエミー賞が発表されたので、全力で報道を見ましたが、しかしゲスト出演アクターコメディ部門にノミネートされていたジョン@ドラマ「ウィル&グレイス」は、惜しくも賞は逃しちまいました。思わず「け、今年はこのへんで勘弁しといたるわ」と弱々しくつぶやきました。しかし、ジョンじゃなければこの人に取ってほしいと願っていたダニー・デビート@フレンズもまた選にもれ、勝者は誰かと思ったらジョン・タートゥーロ@モンクでした。でも知らないドラマなので、勘弁していいのかどうか実はよくわかりません。しかも、エミー賞自体はかなり話題になりましたが、これはわりと地味な部門なようでこれ以上詳細な報道もあまりされておりません。あのさあ、ブラッドとジェニファーもいいけどさあ地味な方も映してちょうだいよBBCさん、とちとテレビをヒジで小突いたりしています。

ところでお話かわりまして。
わたしはミュージカル「シカゴ」が大好きで、舞台も映画も鼻血が出るほど見ているのですが、つらつら考えるにその理由はどうも、あの笑顔が凶悪な弁護士の人の存在にあるようだと思い当たりました。殺人なんて些細なことはどうでもいいから5000ドル払えそしたら無罪にしてやるよ、というすがすがしく非道なあの態度。あれを見ると、わたしはどうしても「かれは法のもとに弁護し、わたしは金のために訴追いたします」と法廷できっぱり言い放った、バートレット検事の涼しげな口調を思いださずにはいられないのです。また、シカゴ映画の弁護士が、ロキシーの元旦那を尋問するとき使っていた「わざととてもややこしい質問を素早くして混乱させてみる」というワザはどうも、バートレット検事が1963年に開発した極悪テクニックを踏襲してるのではないかと思えて仕方がありません。

これは例によって「世の現象をなんでもパイソン関係に結論づけてよろこびたがる」というわたしの恥ずかしい癖のあらわれであるとは思いますが、それにしても、もし「さわやかに凶悪な法律家紳士録フーズ・フー」なんてもんがあったなら、シカゴの弁護士とともにバートレット検事もかなりいい感じで名前を記されていたのではないでしょうか。それに、犯罪とか裁判とかをめぐるシカゴのような話がクラシックとして人口に膾炙し、ブロードウェイやウェストエンドや映画で観客を引き寄せていることをかんがみるに、やはり「国民の税金を浪費して3年間法を学んだ結果わかったのは、裁判とは笑えるものだということだった」というジョンのサトリはかなり正しいのではないかと思われます。(英国の国立大学は、基本的に学費は無料です。)

お話またちょっと変わりまして。
うちの隣のおじさんは事務弁護士です。かなり羽振りがいい感じで、おうちはとっても大きくて、広いお庭がついていて、かしこげなお子がふたりいて、ぴかぴかのおベンツ様その他が3台停まっています。越してきたばかりの頃、はあ、世の中には景気のいい人がいるものだなあと毎日バカのように口をあけてその様子を眺めていました。

そういうある日。陰鬱なイギリスの冬の中でも特に暗くて寒くてじとじとと細かい雨が降っている朝、出勤途中のおじさんは、家から出たとこでふと目があった庭のわたしににっこりと笑いかけ

「ハーイ!とってもいいお天気だねえ!まったくイギリスの天気ってば最高だねえ!ワハハハハハハ」

と、スキップせんばかりの足どりで去っていきました。
ひょっとしてこの国の法学部とは本当に笑える学問の部なのではないか、ジョンは決して冗談を言っていたのではないのではないかと考えながら、わたしはしばし走り去るベンツの後ろ姿を見送るばかりでした。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

11 September 2004

11SEP さけべエディンバラ (3)

ロンドン地下鉄車内ではそれを読んでる人がいない車両を見つける方が難しい、と評されたかの「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだらば、ホーリー・グレイル伝説の陰謀版がたくさん出てきました。もしホーリー・グレイルがそういうものであるならば、パイソン騎士たちがさんざ駆け回った挙句たどり着いたのはあの謎めいた衝撃的な結末であるというホリグレ映画もまた、実は何か重要な裏事実を暗示するものである可能性があります。そういえばかれらの残した言葉は、故ルーブル館長の四行詩以上に難解なものばかりです。もう「センプリニ」なんて、一体何のアナグラムでありその裏にはどんなすさまじいひみつが隠されているのか、もはや想像だにつきません。また作品のいくつかはフリーメイソンの裏の方を示唆しているようですし、また明らかにサブリミナル効果でフリーメイソンに洗脳しようとしているものもありますし、聖書やキリスト教の裏の方については、もうひとつ映画まであるくらいです。また、ホリグレ映画世界の解釈をしようとした有名な歴史家は、奇っ怪な殺され方をしているという事実。い、陰謀だ。世のパイソン真実の探求者たちよ。かのパイソンたちがわれわれに伝えようとしている隠された真実を読み解いて、そして柳の下に2匹目のベストセラーを放て。売れるかどうかはともかく、少なくともその背後に隠されているのは、世がゆるぎ震撼するほど、笑える陰謀であると思われます。

やすやすとペーパーバックに影響されつつ、笑うエディンバラの続きをば。

############ ここから休暇中 ######################

確かカバコフさんではなかったでしょうか、ドゥーン城をして「いまだにパイソンで食ってるすごい城」と評したのは。

しかしよく考えたら、たとえばベーカー街は19世紀以来シャーロック・ホームズで食ってるし、ストラットフォード・アポン・エイヴォンに至っては数百年単位でシェイクスピアで食ってるわけです。1975年の映画で食っているドゥーン城など、赤子の手をひねるようにかわいいものです。

というわけで、

今年のドゥーン城の新製品その2。手足着脱可のラヴリーなミニ黒騎士に加え、こんな嗜好品が。


これはヨークの地ビール醸造所がつくっているものらしいです。カバコフさんちのここで存在は知っていましたが、このドゥーンの地で思いがけなく不意に実物に遭遇、腰がくだけました。


ところで。
お城の外や庭あたりでまず写真を撮っていると、なんだか妙に盛装なひとびとが界隈を徘徊しているのです。


ドゥーン村で今日は祭りでもあるのだろうか、と思いながらお城に入り、大広間に一歩入ったところでわたしはその理由を理解しました。

(大広間は、キャメロットの騎士たちが歌い踊っていたあの空間です。)

そこには椅子が並び、盛大に花が飾られ、赤絨毯が敷かれた通路の先の正面には祭壇があり、どう見てもそこでやがて結婚式が行なわれる体勢が整っていました。

あわてて売店にとってかえし、

「おおおおおっちゃんおっちゃん、なんですかアレですか、今日はこのお城で誰か結婚するとでもいうのですか」

とたずねると、

「そうだよ午後1時半から、地元の若い紳士とウェールズから来た淑女が式を挙げるんだよ。中庭で楽団が入った披露宴パーティがあるんだけど、あんたも来てみたらどうだい」

なんでも夏のドゥーン城はかなり人気のある結婚式場なんだそうです。おっちゃんはこれまでここで式を挙げたカップルのアルバムを見せてくれました。わりと階級的に上の方ぽい人々の、美しくてまじめな式前式後写真が並んでいました。

披露宴へのおさそいはしかし、予定があったので丁寧にご辞退申し上げました。そしてエディンバラへの帰路をたどる道すがらわたしは、淑女とその親族が、突如無駄に走って乱入してきた背の高い騎士にたたっ斬られたりしていないことをひたすら祈っていました。

ああ、世のパイソン真実の探求者たちに請う。誰かあえてここで結婚式を挙げ、そして、新婦は緑の前庭で白いヴェールをひるがえし架空の手綱をさばきながらスキップしてゆき、その後ろには貸し出しココナツ両手の新郎が従ってぱかぱかやっている、という一葉をあのアルバムに残してくれ。さすればその夫妻の名は、南の方から緑のココナツの枝をくわえて現れ人類に希望をもたらしたツバメの名において、永遠に記憶されるであろう。たぶん。いやいろんな意味で。

############ ここまで休暇中 ######################

| | Comments (6) | TrackBack (0)

06 September 2004

06SEP さけべエディンバラ (2)

テート・ブリテンで開催中の Art and the 60s: This Was Tomorrow を見に行きました。60年代英美術ファンなら思わずニヤリとするであろう気のきいたタイトルの特別展で、リチャード・ハミルトンやピーター・ブレイクの絵のほかにビートルズ、ストーンズ、ツイッギーなど当時のアイコンの写真てんこもりのたいへんたのしいものでした。

そしてその一隅で、
パイソンズのみなさんの肖像写真発見。
といっても会場の外の、60年から69年の1年ごとに、新聞記事やTVのスティルをかかげて「メディアにおいて60年代に何があったか」を解説するイントロダクション的展示部分でしたが。それでも、「おおナショナル・ポートレイト・ギャラリーに続いてテートに進出したかパイソンズイエイイエイイエイ」とわたしは喜びの舞いを舞いそうになりました。(舞いませんでしたが。)その1969年部に並べられた数件のメディア物件からすると、69年とは、アメリカ人が月に到達して、イギリス人はBBCでモンティ・パイソンを始めた年である、とだいたい解釈してよいのであるとわたしは解釈することにしました。ちなみに、60年のとこにはビヨンド・ザ・フリンジ、63年のとこにはTW3のみなさんの写真がありました。

それにしても、よくものごとは大雑把に「60年代」「70年代」と10年ごとにわけられたりしますが、パイソンを「60年代的」現象として分類していいものかどうか、わたくしはときどきなやみます。確かにパイソンズのみなさんは60年代ロンドンの20代の野性的生活のカタマリのような人々であり、始まったのは確かに60年代です。でも実際にパイソンズとしてかれらがいたのは70年代前半です。60年代と70年代のどちらにどうはめこんでもなんとなくすわりが悪いです。

しかしよく考えてみると、その始まったときが60年代の終わりのきわ頃であったというのは結構パイソンぽい。つまりパイソンとは、フリンジやTW3や、あるいはそれ以前にかれら自身がやってきた60年代なことどもを全部いったん終わりにして、もう足で踏んづけてばらばらにして否定して、分類されることを拒否するかのようなわけのわからないことを始めてみた、のであります。言い換えれば、もはや60年代とか70年代とかそういう既存のカテゴリにおさまらないのがパイソンであった。

と、ちょっと理屈でよいしょしてみたりして。さてさけぶエディンバラの続きです。


############ ここから休暇中 ######################

街中にあふれかえるポスター群のなかに、なんか奇妙に親しみのある顔がひとつ。誰だったっけこれとしばし考えた後、あ。これは、2000年のNHK「地球に乾杯!」のフットライツ特集で印象的な学生だった、トム・ベル君ではありませんか。

tombell.jpg

去年卒業したばかりなのに、もうフリンジのポスターに個人名が出るようになったのだなトム君。すばらしい。

ところでフリンジ目当てでエディンバラに来た以上、フリンジを極限まで見るのであって、4日経過現在、計14本見たところです。1日4本ハシゴしたりしてるわけで、いいかげんかなりヨレています。とはいえ、ヨレるのは芝居を多量に見るからではありません。なにがきついかというと、エディンバラの坂道です。ちくそう、なんて起伏の多い街なんだエディンバラあ!次の芝居まで30分あるから、会場までは散歩がてら歩いて行こうとうっかり思ってはいけません。プログラム付帯の会場地図には等高線を入れてほしいと思います。なにも考えずに歩き出すと、山越え谷を越える羽目に陥ります。東アングリア地方のひらたい地平球から来た人間は、道がナナメになっているということに慣れていないのです。わたしは何度、この大勢の人々がさんざめく都会の真ん中で、ほとんど遭難しそうになったことか。

身体をムシバム筋肉痛を別にすれば、数千ある演目の中からチマナコで選んだ14本ゆえ、今年のエディンバラはアタリばかりでかなり楽しい。例えば:

アダム・ヒルズ@アッセンブリー
Adam Hills: Go You Big Red Fire Engine! 2 @Assembly Ballroom

adamhills.jpg

オーストラリアから来たスタンダップの天才の人。この人は本当に「天才」だなあと、会場の人たちを会話にひっぱりこみ、その会話をすぐにネタにして100倍の速さで切り返すワザを見ているとそう思う。そして話題が明るい。アダムは生まれつき右足がないという障害の人であるが、それを「近視だからメガネをかけるんだ」と言うのとまったく同じ調子で「ぼくは右足がないから生まれたときから義足なんだ」と言う。ユーモアとは結局自虐なんだと思うけど、自虐的話題ももう天真爛漫に明るい。ザ・スコッツマン紙の別冊「フリンジで迷ったらこれを見ろ」ガイドの表紙になっているくらいのフリンジ不動のトッププレイヤーなので、アッセンブリーの大きな会場は満員、観客は開演前から「さあ笑うぞ」という体勢でいるけれど、この人にかぎりその雰囲気がうまく働いていると思う。Go You Big Red Fire Engine! とは、オーストラリアの公演中あまりに盛り上がった観客が思わず叫んだかけ声なんだそうだ。色々あってそれを自分のコピーにした話があまりに面白くて、「よかったら出口のとこでそのコピーつきのTシャツ売ってるので、帰りに買ってってね」とアダムが言ったら、皆「うんうん」とうなずき、終わったあと皆先を争うように売場に押し寄せていた。人の意見に左右されにくい英人観客にしちゃまったく珍しい風景だ。


ボーガ・アゲイン!@アッセンブリー
Borge Again! by Rainer Hersch @Assembly Supper Room

メトロ紙の5つ星のレビューのわきに載っていたこの写真にとても心惹かれるものを感じて、内容も知らずに突然見に行った。

hersch.jpg

そして内容を知らずに見てしまうなんて大変失礼だったとわかった。まず、Borge と書いてボーガと読む。そしてこれは、ヴィクター・ボーガという実在のオランダ人のピアニスト/エンタテイナー/コメディアンの伝記だった。ボーガさんは英語圏でとても人気のあった人のようだが、実は全然知らなかった。2000年に91歳で亡くなったそうで、会場は、おそらくボーガを同時代で知っていたのであろうおじ(い)さまおば(あ)さまでいっぱいだった。その伝記を語る上掲写真のレイナー・ハーシュは、父がドイツ人母が英人、生まれ育ったのはコペンハーゲン、奥さんは純ドイツ人、コメディアンになる前は売れないクラシックピアニストだった、というやや複雑な背景の人である。ピアノを弾くコメディアンに転向したら、自分がやたらとヴィクター・ボーガという見知らぬ先人に比較されるので、なんだか気になり調べ始め、それがきっかけでこういう芝居を始めたらしい。

ボーガもハーシュもまったく無知の日本人だが、それでも、実はこの芝居が14本中で一番面白かった。コメディアンがコメディアンを語るゆえ、演じられるネタがどちらのものなのかわからないところもちょっとあった。(会場のおぢおばにはみなそれがわかっていたらしい。なんかくやしい。)それでも、ハーシュ氏の乾いたユーモアが好みでいい感じだった。(「そこの遅れてきたお客さまようこそ。どちらからいらしたので?ああリバプールですか。わたしはコペンハーゲンから来ましたが、あなたより前にこの会場に着いてました」。)それから音楽ネタ(ラプソディ・イン・ハッピーバースデイなど)がするどい。またボーガの持ちネタだったらしい「音読される句読点」がすばらしい。コンマやピリオドやブラケットやコロンにも音があって、その理屈でシェイクスピアを朗読するとどうなるかを実践するわけだけど、この面白さは文章では説明不可能である。もう椅子から落ちて笑った。

で、
上掲写真でなんとなくうかがえるように、ハーシュ氏は顔立ちがわりと堅い系の人である。舞台で見ると背が高い。その人が、クラシック音楽家らしくモーニングできめて、ちょっと芸術家風に髪が乱れてたりして、大陸系アクセントの英語をぱらぺらしゃべりながらお笑いクラシックピアノなんか弾いていると、なんというか非常に、「ベートーベンのジョン」にもんのすごーくそっくりだったりする。いやほんと。途中、「なんてジョンのベートーベンに似ている英独蘭人だ」という雑念がしきりにわき起こって困った。いや、フリンジで一番面白かったというのはそれが理由ではない。と思う。誰か信じて。


ところで芝居の話はまた明日くらいに続けるとして、
今日は天気がよかったのでくるまをころがしてドゥーン城へ行きました。エディンバラから片道1時間くらいです。
2年前のN嬢さまとわたしによる、めくるめくドゥーン初体験記録はこちらをどうぞ。


↓ポストカードで見つけた航空写真。

dounecastle04.jpg

今回で3回目だけど、毎年新しいことがあって面白い。今年はレジカウンターにちょこんと置かれたこの人形発見。



(ちなみに人形のとなりに見えるのは、かの有名なドゥーン城専用貸し出しココナッツです。)

「かっかかかかかわいい素敵すてききゃあきゃあ!おじさんおじさん、この人形売ってちょ」と言ったら、

(ちなみにそのおじさんはホリグレDVDおまけのマイケル&テリJロケ地再訪記のときにもドゥーン城売店にいたおじさんでした)

「それはね、売り物じゃないんだよ。製造元に訊いたけど品切れらしくてねえ。ところでこれ、手足とれるんだよ。これも写真撮る?」↓

ちなみに製造元はここだそうです。他にもいろいろあるけど品切ればかり。ち。

ところで、ホリグレDVDのマイケル&テリJロケ地再訪録の、ここドゥーン城でのマイケルに関し、以前N嬢さんがするどい観察をしていたのを思い出しました。

「マイケルの背中に草がついている。きっと、どこかで寝転がっていたにちがいない」

とてもいい天気だったので、英人がよくやるように、わたしも草の上に水平になりました。そして、確かこのへんでニール・イネスが巨大ウサギにつぶされて元ニール・イネスになったんだよなあ、と思いながらひなたでぬくまりました。遠くで、どこかで誰かがココナッツでぱかぱかあそんでいるのが聞こえます。空は青く、鳥はぴいちく鳴いて、わたしは30年くらい前にこのへんで騒いでいた人たちのことをしばし考えていました。


############ ここまで休暇中 ######################

さけべエディンバラ、まだまだ続きます。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

02 September 2004

02SEP さけべエディンバラ (1)

休暇が終わり帰ってきました。
出先から更新するという話はどうなったんだい、
とごツッコミになる前にどうか下の、現地のネットカフェにてしたためたわたしのたましいのさけびをお聞きください。

############ ここから休暇中 ######################

フェスティバルまっただなかのエディンバラは北国の夏の青空色に快晴、陽のあたる路上は大道芸とそぞろ歩く大勢の人びとのさまざまな国の言葉のざわめきに満ちています。なんだか街全体がぼっと熱を持って明るく輝いているかのようです。しかしわたくしは今、ある失態と失意に打ちのめされ、裏通りの後ろの方のうらぶれた薄暗いネット屋の隅にうずくまり、斜線の入った顔で暗ぁくぱこぱこキーを叩いています。何があったかというと、在エディンバラ日記を現地から更新しよう、ああブログって便利だなあらんららら、と思ってここにやってきたものの、なさけないことにニフティココログさんへのログインIDとパスワードが思い出せないのです。パスワードを再発行してもらおうと思ったら、自分で設定したはずのひみつクエスチョンの答えが何故か合わないのです。何度か試みた後、押しても引いてもどうしてもログインできないということがわかり、わたしは頭を抱えました。ああなんてことだ。ここまでヤキがまわったか自分。それともわたしはわたしではないのか。パソの前にいるのは確かにわたしだが、こうして今わたしのパスワードを思い出せないわたしは一体誰なんだい。

と、ひとり粗忽長屋をやったところでニフティさんはログインを許してくれそうもありません。今ぱこぱこ打っているこの拙文、せっかく明るい現場でこうして書いているものを、帰って自宅からあげることになるわけです。それは控え目に言ってとてもマヌケであり、もうお手上げというか、柱に後ろ手に縛られているというか、思わず流れ落ちる涙を足につけネズミを描いてみたりして。

とりあえずおととい、星の数ほどあるフリンジ会場のうちおそらく一番格がある「アッセンブリー」に行き、舞台「カッコーの巣の上で」を見ました。これが芝居になってフリンジにかかるということが決まった時から既に話題になっていましたが、その後キャストにクリスチャン・スレーターとマッケンジー・クルーク(パイレーツ・オブ・カリビアンのやせてる海賊の人)が入り、チケットは『熱い』ものになったようで、最終日まですべて売り切れでした。

舞台は登場人物とセリフを少し刈りこみ1時間半くらいにおさめたもので、ほぼ映画のとおりの話展開です。初日直前にスレーターがミズボウソウかなんかにかかり(まだやってなかったのか)、初回から数回がキャンセルされたそうですが、幸い回復してくれたらしく、マクマーフィー役で大暴れしていました。しかし観客としてはついジャック・ニコルソンと比べてしまうので、どうしても損な役回りではあります。その反面、クルークは気弱なビリー役にとてもはまっていて、ひとりで観客の目をかっさらってました。というか、この人はルックスのインパクトだけで他の人を頭ひとつリードしています。意外とハンサムで、しかし線が細くて重病人のようで、傾向としてはデヴィッド・ボウイ、ただしクスリ中毒で死体一歩手前だったころの、に似ていなくもありません。

上記のようにこの芝居はフリンジ一番人気だったのですが、これに関しBBCのサイトで『米映画を舞台にのせてハリウッド俳優を出して人気を集めてそれははたしてエディンバラ・フリンジの芝居と言えるのか』という議論があったのが面白いと思いました。これだけ雑多な混沌文化の21世紀に、こういう点は妙に意固地な英人(というよりBBC)です。

ところで今日はさすがにパイソンねたはないだろうなあ、と思っていたら、アッセンブリーのボックスオフィスで、おフランス版モンティ・パイソンチームの05年初めのロンドン公演チラシを発見。おお、おととしパリで公演してなんだか非常に人気を集めていて、去年フリンジに来て英人観客を前にフランス語パイソンスケッチをやり抜いたあの人たちが、今度はロンドンに来るのか。

何故ロンドン公演のチラシがエディンバラにあるのかがよくわからないし、それに休暇モードにもかかわらずこういうものをすかさず見つけてしまう、水探し人のように局地的な自分の能力に妙に感心しました。今後も、妙な触角をとぎすませて妙な電波を受信していこうと思います。

############ ここまで休暇中 ######################

以上叫ぶエディンバラの第一日目でした。
続きは明日以降、ぽろぽろとあげていく予定です。パイソンねたももう少し出てきます。いつまで続くか我ながら不明ですが、どうぞおつきあい下さい。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

« August 2004 | Main | October 2004 »