24 January 2008

帰省してもパイソンばっかりオフ日記

改めてミニオフ@英パブのお知らせです。

日時: 1月26日(土) 午後6時あたり
場所: Cock o the Walk
所在地: 〒106-0032 東京都港区六本木7-15-25 六本木セブンスビル2F
ウェブ: http://r.gnavi.co.jp/p591200/
TEL: 03-5410-5200

幹事の木下さんありがとうございます。わたしはいまだにロッポンギというときんちょうしてしまうイナカモノですが、がんばってたどりつこうとおもいます。

開始よりしばらくビールなど喫しつつ上記パブに滞在、その後サカリバ通のQさんの案内でどこぞに流れることになるでしょう。おいでくださる方は前もってお知らせくだされば幸いですが、当日ふらーと合流くださるのもOKです。その際はとりあえず、関連物件を机上に展開しながら大声で「いやあのジョングレの手つなぎ森スキップが…」とかしゃべっているはた迷惑な身長0.872ジョン(注: 1ジョン = 196センチメートル)の女をご発見の上、後方からゴムニワトリでおどつきください。

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21 January 2008

帰省中でもパイソンばっかり日記

↑タッチの差で東京カルチャーカルチャーの「駄目な文房具ナイト」に参加できないかなしみをこめつつきだてさんリスペクト。それにしても「きせいちゅう」と打つとまず「寄生虫」と出るのが言いえて妙すぎる。

◇ ちょっと前のことになりますが、ロンドンの日系コミュニティ新聞「ジャーニー」に、1月10日テレグラフ紙のジョン記事の抄訳が掲載されています。→
アメリカ金髪美人(コニー)と結婚したが別れ、次にまた結婚アメリカ金髪美人と結婚した(バーバラ・トレンサム)が別れ、さらに結婚したのはまたまたアメリカ金髪美人(アリス・フェイ)だったがやはり別れた、というのはいったいどういうココロモチのものなのだろう。

確かイアン・ジョンストンが、「コニー時代にジョンの家に行ったとき、ジョンはしきりに『いや妻はアメリカ人だから、なんでもかんでも冷蔵庫にしまいこむ、食器でも椅子でも…』とつぶやきながらお茶道具を探していた。そして彼の再婚後、家に行ったら、やはり『まったく妻はアメリカ人なもんだから、なんでも全部冷蔵庫にしまいこむ、お茶でも家具でもなんでも…』とつぶやきながら何かを探していた」とどこかで書いていました。はたしてアリスさんも冷蔵庫に何もかもしまいこんでいたのであろうか。いちジョン専としてはジョンにはぜひ幸せになってほしいと祈ります。そしてさけぶのです:



「それはクリー『ズ』と読むのだ!」




◇ 近所の市川中央図書館で発見。

思わず、

「それはペイリンと読むのだ!」

とかさけぶ前に、実は「80日間」がこんなステキな邦訳になっているとは実は不覚にも知らなかったゆえ、手にとって「わ」と驚きました。おだやかな筆致で埋められていて、マイケルは日記をこういう文体で書くのだろうかと想像するのはたいへん楽しいです。




◇ 先週B夜書房の空飛ぶ編集者E本さんと、「何故パイソンの普及ぶりにひきかえ、英語圏における単体旅人としてのマイケルの人気が、あいにく日本にはおよんでいないのか」と力をこめて数時間お話をいたしました。それはBBC的な旅番組フォーマットと、日本のそれとが微妙に異なっているからか。しかしパイソンなんか言語と文化とフォーマットの違いをがんがん乗り越え侵食してきているわけだし、マイケルのおだやかな(しかしなにげで辛辣な)センス・オブ・ヒューマーにいろどられた旅行記もまたこっちに来てくれないものだろうか。と、わたしはこのたいへんステキな80日間マイケル本をぱらぱら読みながら考えました。




◇ そのE本さんから以前頂いていた、ドイツからのチクリ、もといすてきなお話です。



「先日フランクフルト・ブックフェアへ出張したところ、
世界に冠たる出版社であるところのOrionも立派なブースを出しておりました。
そのブースの写真です。
なんだかもう、神にも等しい扱いになっていますが
とにかく世界に冠たる出版社であるところのOrion Groupが
世界の出版人に向けて、もっとも誇るべき著者として
マイケルを何の臆することもなく取り上げていることに
ちょっと感動すら覚えました。」

そしてこれです。

ちなみにこの屏風は合成写真などではなく「絵」なんだそうです。誰かがこれをひとふでひとふで描いたのです。素ん晴らしい。思わず新興宗教を起こそうかと思いました。名も知らぬドイツ人の画家さんの偉業は、ミケランジェロをはるか後方に引き離してパイソ信徒の記憶にきざまれることでしょう。




◇ ところでお知らせ。今週末26日土曜日夕刻より都内でミニオフを決行します。(某ミクシ方面にも関連コミュができております。K下さんありがとうございます) いや、オフつーか、ただ単に例のごとく、いい大人が酒類等喫し微薫を帯びつついろいろブツをもちこみつつ「いやあの第二シリーズの意識の流れが…」とかいうパイソヨタ話をしようという集まりで。やや急な話ではありますが、どうぞお繰り合わせとお誘いあわせの上ご参加ください。ちなみに場所は某英国式パブになる予定。何故英式パブになるかというと、その理由はいろいろあります。

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13 January 2008

19年目の終わり

ジョンとアリス・フェイ夫人が別れるそうです。1月10日デイリー・テレグラフの記事 →

テリG、テリJに続きパイソンの皆さんにいろいろ波風が。

本日13日同紙にもう少し踏みこんだ記事があります。タイトルがいかにもです。コニー・ブースは今サイコセラピストなんですね。→ "This marriage is no more. It has ceased to be"

Life And How To Survive It の再読直後ゆえひときわ深く感じています。Families の方も読み直すべく小脇に抱えてとりあえず、ヒースロー方面に去ります。続きは日本で。

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09 January 2008

謹賀新年と笑う門に来るもの

しばらく冬眠していました。レスもせずに大変申し訳ありません。実はウツだったのです。07年が暮れてゆき日が急速に短く暗くなるにつれ、海に投げこまれた石になったような気がしてきて、これは冬のせいだろかと思っていたら、石はしかし着実に深く静かに沈んでいきしまいに短い日も届かぬ海の底に着床。これは困った、これは深すぎる、石であっても地上ならば路傍で文学になるとか転がってロケンロールするとかサザレ同士で集合しイワオになるとか展開があるが、海底では手も足も出ぬ。うう室生犀星のえびの気持ちが今わかった。だいたい哺乳類は息ができん。酸素がない。酸素酸素酸素!とうんうん唸っていたところ、医者がやってきて「あんた、とりあえず石もえびも忘れて呼吸につとめろ」と一喝ドクターストップ。よって年末年始の行動は全部停止、127万気圧のもとでただぱくぱくと酸素をか細く吸収しておりました。

今ようやくヘモグロビンが動き出した気がしてきたので、じりじり浮上してきて海面に顔を出してみたら、年はとうの昔に改まっている。浦島状態で明けましておめでとうございます。新年しょっぱなから海底とか酸欠とか縁起のたいへんよい自分語りですみません。かくて明るい一年の計を計上しつつ、今年もよろしくお願いもうしあげます。

ヘモグロビン再始動に一役かってくれたのがジョンとロビン・スカイナー博士の名著Life And How To Survive It、これは新鮮な空気のように深海頭にしみとおりました。迷ったときの地図みたいな本です。しかしこっちでジョン・クリーズというといまだに「病んだコメディアン」という連想がされるときがあるようですが、ジョンの場合はどんどんセラピー世界に踏みこんでいってこんなふうに本まで書いちゃったからそのイメージが強いだけではないか。その以前にはトニー・ハンコックやスパイク・ミリガンなんかがいたし。その後も宿命のようにコメディアンは病みつづけていて、最近ではスティーブン・フライが以前から重度の躁鬱病であったことをカミングアウトして話題になりました。

わたし的には、彼が病んでいたことより、「ルネサンス・マン」とも呼ばれるインテリジェンスと才能の権化のようなフライ氏が、その事実を人に語れず伏せていたことの方に強い衝撃を受けました。もっとも彼の場合、ただ公にするのではなく、同時にみずからのヤマイを糸口にしてStephen Fry: The Secret Life of the Manic Depressiveという病める人々に関する優れたドキュメンタリーを製作、啓蒙活動につとめているあたりがやはり権化の人らしいというか。(このへんの個人的ネガティブ体験の昇華手段、というか「転んでもただでは起きなさっぷり」はジョンに似ている。) 

このドキュメンタリーでは、フライをはじめロビー・ウィリアムズ、リチャード・ドレイファス、キャリー・フィッシャー(!)などがみずからのヤマイ体験を語るのですが、スティーブンが「以前ジョン・クリーズに『きみはその人当たりの良さゆえに病んでしまうのだろう』と言われたことがある」と語っていたのが印象的でした。あと、トニー・スラッタリー(元フットライツ会長、フライと一緒に「ピーターズ・フレンズ」にも出ていた人)が強度のウツに陥り社会とのかかわりを完全に絶っていたころの話も。テムズのそばのフラットに鍵をかけて閉じこもり、ノックにも答えず電話もとらず手紙も放置、ただ絶望して部屋の家具を片端から川に投げこむという行動を続けていたところ、ある日警察のボートが川を上ってきて、拡声器で「おーい、トニー、聞こえるかートニー、聞こえたら、川にものを投げこむのをやめなさい」と呼びかけてきたんだそうです。それを受けた、フライ「じゃ、警察はきみの仕業だってことわかってたんだ」トニー「どうもそうだったようだ」というやりとりには思わず笑ってしまったのですが、しまいには心配した友人がドアを蹴破って突入、トニーを引きずるようにして病院につれていったというからすさまじい。

ジョン・クリーズの方からコメディに来た人間としては、この国のコメディとコメディアンたちとその暗黒面の歴史に興味はあるのですが、その淵はどうやらマリアナ海溝よりも深そうで、深海頭がまた酸欠になります。誰か研究してくれないだろうか。とりあえず、新年早々から暗黒とか書いていてどうも縁起がいいったらりありゃしませんが、冬眠により中断していた話は次回から再開します。すみません。

それから来週14日から3週間市川の実家に帰省します。お時間おありの方乞う御連絡。酸欠頭とあそんでやってください。

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29 October 2007

お客様は神様なんかじゃない

先日触れたように街に引越しました。
しかしこの「引越した」というひとことの中には大いなるドラマが詰まっています。たとえば前回にはこういうドラマがありました。

このたび引越すにあたり、引越しそのものよりも、またこのような不毛な戦いのドラマをBTとくり広げねばならぬのかと、そっちの方が余程気がかりでした。だから引越し後また問題があった場合に苦情電話をかける準備を整えておこうと思い、事前に新居周辺をリサーチしたりしました。その結果、最寄の公衆電話には街中まで20分ほど歩かねばならないとわかり目の前が暗くなりました。

ところが今回BTに関する問題はまるでありませんでした。引っ越したら電話線が生きていて、ブロードバンドも問題なくすっとつながり、さらにBTの方から携帯に追って「あんたのアカウントを今日これこれの住所に移して今日から使えるようにしたっすよ。問題あったら連絡おくれ」という確認テキストまで来ました。

わたくしは感動しました。これは控えめに言って奇跡だと思いました。思わず神様に感謝しました。そして偉大なBT様方面をふしおがみました。

しかし。
ちょっと待て。
よく考えたら、これってアタリマエなんじゃないのか。電話屋さんはこういうことができて普通じゃないのか。何普通でアタリマエのことにそんな必要以上に感動しているんだ自分。これではBTの思う壺ではないか。これはBTのアメとムチというか、客どもは生かさず殺さず、パンがなければケーキを食らえ、普通程度でありがたがらせとけけけけけけ。という英国帝国主義をひきずる居丈高客商売精神に毒されつつあるのではないか!

と叫んだりしたものの、
ま、でも、いいや。電話がつながって嬉しいし。ありがたややれやれ。さて環境も整ったことだしこれからは新しい街で新しい人生をあかるく生きてみることにしよう。

と思っていたわたしが間違っていました。
この国ではそうは問屋がおろさないのです。

引越してからほぼ3週間経つ今現在、入居当日に入るはずだった洗濯機と、入居1日目で故障したボイラーと、入居3日後から漏れ始めたダイドコの水道と、入居5日後に冷たくなったきりの居間の暖房という問題群がいまだに放置されています。特に洗濯機に関しては非常に不毛な長期戦になっていますが詳細は省きます。と言うか、詳細を書き始めたらおそらくイカリのあまりキーボードも砕けよボコバコボコバコドガガガガガガと超長文になってしまうからです。とりあえず、この状況は「新しいガスクッカー」スケッチの不毛さを地で行っていると述べるにとどめておきます。

天高く、かたつむり枝に這い、代金だけはカードからしっかり落とされている洗濯機はいまだ来たらず、わたしはコインランドリー生活を強いられています。BTにうっかり懐柔されかけたわたしがバカでした。

それにしても、なんでこうサービスの品質がこの国はこんなに「なっとらん」のか。どうして一昔前の客商売感覚にとどまったままで平気なのか。何故、向上とか、開発とか、カイゼンとか、小倉昌男の爪の垢を煎じて飲むとかそういうことをかれらは行わないのか。そして客の方ももちろん戦い不服は抱きつつも「そういうもんだ」と了解してしまうのか。

もっともそれでもひとつありがたく思うことは。
この歴史に裏打ちされたサービス業の品質の低さがあるからこそ、この国には「店員対客」という非常に面白いコメディのカテゴリが成立している、それが伝統としてめんめんと受け継がれているということです。

たとえばこのリストの上位にあるだけでも、「オウム」はもちろん、リーグ・オブ・ジェントルメンの「タブス&エドワーズ」、トゥー・ロニーズの「4本のロウソク」、ヴィクトリア・ウッドの「スープ2皿」が入っています。新旧の「店員対客」スケッチだけで改めて50本くらい選べちゃうのではなかろうか。

(もしそうならば、ヒュー・ローリーの客が店員のスティーブン・フライに「すみません、コンドームを8箱下さい!!あとジェイソン・ドノヴァンの新しいレコードも」と頼むやつを入れてほしい。→ 「ジェイソン・ドノヴァン?(にやり)」というフライがすてきだ。フライ&ローリー最高!)

こういうことどもを考えていると、この国のサービス産業に関する不毛な戦いに巻きこまれ続けるということは、面白いコメディの伝統を守るという公共の福祉のために支払う税金というか、伝統の恩恵にあずかる者はそのかわり身を挺して戦うべし、という徴兵制度みたいなものじゃないかという気すらしてきます。伝統の存続という旗印がある以上、人が不毛さのもとで耐久生活を送るのも仕方がないのです。うっかり日本的開発カイゼンお客様は神様です精神を輸入し、サービス業品質が向上したとします。その結果人は目先の便利さに預かれるのかもしれませんが、その一方で、ある伝統的コメディのカテゴリがゆっくりと絶滅に向かうことになります。

だからわたしたちには今、みずからに問い直してみるときが来ているのかもしれません。わたしたちは、伝統を守るということの本当の意味、そして「本当の豊かさとは何か」を改めて考え直さねばならないのかもしれません。


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とでも思わなきゃやってらんない、ってのが正直なとこなんで。いや本当の豊かさも大切だ、大切だが、わたしは洗濯機と暖房が欲しいんだ。ちくそう。

ブログの本題からそれっぱなしですみません。「すみません」とか謝っておきながらそういう話をさんざん書いていることに関してはあまり深く追求しないでおいてくださるとまことにありがたいです。とりあえずえーと、10月27日はジョンさん68回目のお誕生日でした。おめでとうございましたジョン翁!!めでたいのでいつものように「ワンダ」を鑑賞していました。わたしはたぶんこのときのジョンが世界で一番好きです。ジョンさんにおかれましては、「パイソンの金の亡者の方」ことエリックと一緒に、是非とも西暦3000年まで達者でいてほしいものです。


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追記
以前CH4 の「TVキャラクターベスト100」で「ジェントルメン」のスティーヴ・ペンバートンいわく(それにしてもCH4は「べスト○○100」という番組が本当に好きだ)、タブスは「現代版のペッパーポット」だそうで、「テリー・ジョーンズに盗作だってんで訴えられてもおかしくなかった」よし。
ベスト100の結果はこちらです。渾然としているリストですが、とりあえずフォルティ氏が上位なのはめでたい。ホーマー・シンプソンに負けているってのはどうかと思いますが。

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20 October 2007

マイケル東欧へ:番外のさらにその2

やぼ事情により引越しをしていました。4年間住んだ平和な村を後にして、スタンフォードという中部の小さな街の片隅に住まう街っ子になりました。とはいえそれほど長距離の移動ではなく、村から街までは約2マイル半、今まで村住まい時代も買物とか銀行とか夜遊びとかで街には来ていました。でもやはり住むと視線が変わり、いろいろなことが見えてきます。

まずこのウィキ頁写真のとおり、街といってもわーきゃーかまびすしいところではぜんぜんありません。ここは発生以来数世紀を経てなおほぼ原型のまま英国的根性で踏みとどまっている街で、一番古い建物は十字軍騎士たちが泊まっていたという旅籠です。しかもその旅籠は今でも立派に営業しているという。ちなみにここGeorges Hotelです。わりと美しげですが、実際に見ると屋根が傾いたり床がゆがんだりしていて大変そうです。

その他も石造りの街全体が、よく言って数百年の歴史を抱き情緒あふれている、あるいは普通に言って古びている、というか率直に言って強烈にぼろです。もっともこの国の場合こういうぼろさを尊び、壊れを直しほころびをつくろい辛抱強く修繕しつつ保たせてなんぼ、という価値観が支配しているので、一応ここは英国の中でもその価値観的に感じのいい街として存在しているようです。映画「高慢と偏見」(キーラ・ナイトリー版)やかの「ダ・ヴィンチ・コード」の一部がここ在住のとある貴族さんのお屋敷を借りて撮影されたよし。

そして実はわたくしもなんだかだ言ってこの情緒含みつつ強烈にぼろい街がたいへん好きになっちゃっているのであって、たとえば前述ウィキ頁の写真のような全体風景もそうなんですが、こういう感じで街のそこかしこにひみつめいた小道があって

奥には不意にかわいらしいアンティークアクセサリ屋さんとか個人経営洋服屋さんとかうまいものが並ぶデリとか感じのいいパブとかがあったりする。これは大変女子ゴコロを刺激される風景です。でもこういう小道を見るにつけ、これって火事のとき大丈夫なんかなあとか心配してしまうのですが、そういうこまかいことを気にするのはどうやらポンニチ人だけのようです。

そのいっぽう残念といえば残念なのが、以前の村は平和なラトランド州に属していましたが、今の街は境を越えてリンカーン州にあるという点です。なにしろラトランドは平和に小さすぎるので、動くとすぐに外に出てしまうのです。「ラトランド住まい」という点でいろいろな人にお笑いいただきましたが、その肩書きも過去のものとなりました。

で、
前エントリから空いていた間にいろいろあり、BBCのマイケルは南欧/新欧/中央欧をあらかた踏破してロシアまで歩を進めちゃったりしていて話題はたまってしまっているのですが、とりあえず9月26日にロンドン大教育学部講義室で行われた講演会後のマイケル写真です。

どうやらマイケルはヒマラヤ以来の目が悪いようで、今回もまたここまでたどりつくまでに、マイケル事務所および主催者ブラックウェル出版の中のひとびとから「マイケルに向けてフラッシュを炊かないでください。炊いちゃいけません。というか絶対に禁止しますんでそこんとこよろしく」と、礼儀正しく笑顔でしかしとてもシリアスな警告を何度も受けました。その後薄暗い中で遭遇したこのポンニチ女にも、多忙ななかちょっと静止してカメラ目線をくれるマイケルさんは相変わらずたいへんいい人です。というかなんかこう、すてきさが発散するような一番感じのいい種類の英人初老紳士さんでした。講演の詳細はまた改めてあげます。

Michael260907_2_choc今回も長蛇行列だったので、ブラックウェルの中の人に配給された非常食チョコ。前回についてはこちらご参照ください。→

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21 September 2007

笑うエディンバラ2007その3 : フットライターは荒野をめざす

2000年のNHK「地球に乾杯 夢は爆笑コメディアン~英国・ケンブリッジ大学~」というケンブリッジ・フットライツ特集をご覧になった方ならばおそらく、番組中明るく目立っていて「セイシュン真っただ中ー!」とか言われていた、トム・ベルという学生フットライターをご記憶ではないでしょうか。だから2004年のエディンバラ・フリンジで彼の名前を見かけたときには感動し思わずここに書きとめたりしました。

そして今年2007年、フリンジ登竜門ヴェニューである「プレザンス」の一角で、彼はエド・ウィークスとTommy and the Weeks というユニットを組んで舞台に立っていました。しかし名門ヴェニューとはいえごく片隅の小さなハコで、キャパは40人程度だったでしょうか。

ところでエド・ウィークスもまたフットライツファンには聞き覚えのある名前、と思ったら、2003年度のフットライツ会長さんの人でした。その年夏のエディンバラを含むフットライツ公演では、学生には見えないふてぶてしさをどっしり放ち、それでいて壊れるときはそのこわもて下げて「ヤングマン」を歌い踊るなど異様な存在感を放っていました。
(以前「まき・とうこ」名義で連載していた「Quick嘘屋」のある回でちらりと言及した「路上でチラシを配るフットライツ会員」とは実はウィークス氏のことです。確かこの年のフットライツは午後3時ごろの開演だったのですが、ぎりぎり2時45分くらいまでチラシを会長みずから懸命に撒いている姿が印象的でした。

ベルとウィークスは学年で2年違いか。いずれにしても双方とも卒業後は本気で舞台コメディアンを目指してそれぞれ行動していたようですが、最近この才能ある若人ふたりはどうやら手を組んだらしい。

その結果のトミー&ザ・ウィークスの舞台とは、スタンダップが主流であるいまどきのコメディの波にあえて逆らうかの如き、スケッチ集の1時間でした。けれどもそのスケッチの流れがとても考えられ練りこまれている。独立したスケッチが続きかれらがそのキャラクターを次々に演じるその一方で、内容に「やや軽いお気楽青年トム(赤スカーフにシマシャツ姿)」と「場を支配したがるふてぶてしいヤッピーエド(ピンストライプのがっちりスーツ)」というもうひとつ外側にある本人たちの「素」(に見せている性格)がだんだん干渉し始める。やがて1時間のスケッチ集はさまざまな伏線でひとつにうねってまとまり始め、最後にはトムとエドとの「素」が場を乗っ取ってしまう、という、いわば古典的ケンブリッジ風スケッチをきちっと書いて演っている。

ので、
わたくしは公演後、着替えて化粧を落としてプレザンスの庭に下りてきたトム・ベル氏に思わず話しかけてしまった。
「あのー、すみません。今舞台見てました。感動しました」
「はあ、それはどうも」
「あのーそれでトムさん、以前TVで見ました。じゃぱんのTVです。数年前ケンブリッジ・フットライツにいたころの」
「え?TV?おれTVに出たっ… あーーーーーあああれかー!じゃぱんのあれかー!うわーなんてこった、すごい前の話だよねあれ。うわーうわー」
「すごい前の話つか7年前になりますか。で、あの番組ではトムさんがかなり目立ってたので、あのとき『きゃあトム君すてきー』とか言っていたじゃぱんの女の子はけっこういました。今でもファンはいるでしょう、現にわたしがそのひとり」
「えー、おれ、じゃぱんにファンがいるの?ひやあどうしよう、嬉しいなあ、おれすっかり国際的人気もんかな」

じゃぱんのファンの皆さんによろしく、とトムさんです。ご本人のサイトはこちら


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